雪景色と手間と余白と(2021年11月24日)

やり残した仕事から逃げるように「15分寝よう」と思って横になったまま、ブラインドから差し込む光で目覚めた朝。今日もやっちまった。そう思って重たい身体を起こすと、目に映った白塗りの窓外に「えっ」と小さく呟く。

今年の春から、標高1000メートルの山間部に住んでいる。といっても、長野はどこも標高が高いので、長野市街地から車で20分も走れば、簡単にスカイツリーより高いところにたどり着ける。当然ながら、まちなかに比べ積雪は多いのだが、思っていたより本格的な冬の訪れが早かった。いや、忙しさにかまけて季節の移り変わりに目を背けていただけか。

「雪が降ると、雪かきを毎日しないとな」「色々買いだめしておかねば」そんなことを考えながら幼稚園に子供を連れて行くと、担任の先生が「雪が降ってたくさん遊べるね〜!!」と言っていた。楽しいところに目を向けねばなあ、と反省する。

5年以上前に住んでいたシェアハウスのオーナーさんに、仕事の関係でひさしぶりに会った。山間部に住んでいることを伝えると「お前には似合わねえなあ〜〜!!」と笑われた。よく自覚している。自分でもまさか、山に住むとは思っていなかった。

山の暮らしは豊かだ。自然に触れたり、季節のうつろいを感じたり。人間には到底起こせないような変化を、自然は時の流れとともに起こしていく。その変化を間近で感じられるのは、豊かであると思う。でも、その豊かさを享受するには、生活に余白が必要だ。油断するとすぐに、ただの手間へと化けてしまう。いまはその状態であることは否めない。だんだんと、この環境での自分のリズムを掴んでいきたいなあと思う、23時59分。2回目の更新からギリギリである。。


ハタコシ

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