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    海外旅行 アフリカ

遺伝子というタイトルで某コンテストに応募して最終審査まで行った写真

noteって何かも知らずに登録してしまった私、数え年で90になりました。
もう多分、絶対に行けない海外旅行の一部を紹介します。

歳を取る前にアフリカへ行きたいと言へば、もう歳取ってるのにと言われるので、元気なうちに、と言い直してアフリカへ出かけた。もちろんツアー。
アフリカはサファリだけではない。世界三大滝の一つビクトリアの滝、アフリカ最南端のケープタウンなど予てから行ってみたいと思っていたし、何よりも満開のジャカランダの花の下に立つことを夢見ていた。そして今回の旅はそれらすべての望みが叶った旅であった。少し前に行ったエジプトも勿論アフリカ大陸の中にあるのだけれど、私の場合、エジプトはイメージ的に、ギリシャへ続いていく文明発祥の地という思いが強く、アフリカ大陸という地名から直ぐに思い起こされる国ではない。奴隷の歴史、アパルトヘイト、部族間の争い、飢餓、暗黒大陸。アフリカから連想される言葉の数々はすくなくともクレオパトラの国エジプトの明るさと華麗さからは遠い。
しかしながら、今回ほんの少し覗いて見ただけの旅であったが、アフリカの明るさが強く印象に残った。人類皆兄弟といえば極端すぎるが、接した限りの黒い人々に親しみを十分感じたのである。

2000年10月21日 関空から4時間で香港、更に南アフリカ航空で13時間かかってヨハネスブルグに到着。計17時間のフライトながら疲れが少なかったのは、ゆっくり機内で寝る時間があったからだろうか。
金鉱で繁栄したのち、観光地となっているゴールドリーフシティーを経てプレトリアへ。此処は南アフリカ共和国の夏の首都である。ヨハネスブルグは冬の首都。今は春の盛りだからプレトリアは静かな住宅地の雰囲気であった。

ジャカランダの花は南米から移し植えられたものと聞いたが、並木はどれも大木で見事。桜よりも花は大きく花期が長いが、次の雨でもう散ってしまうだろうと言うことであった。

空路ジンバブエのビクトリア・フォールズへ。オプションでヘリコプターによる滝の観光。迷わず申し込んだのに女性二人だけ、やっぱりお転婆なのかなあ。
ヘリコプターから見た風景は私を十分満足させてくれた。太古とてつもなく広い大河が流れていて、ある時想像を絶する大地震が起こり大地に巨大な割れ目が出来、川はそこに吸い込まれるように落ち込んで滝となり流れの方向はすっかり変わってしまった。というのが私の想像である。しかし空から見れば誰でもそう思うだろう。

ビクトリア大瀑布を地上で見学した後、国境を越えてボツワナに入る。チョベ国立公園のクレスタ・モワナ・ロッジに2泊して朝夕思う存分サファリをし、昼間はプールに入ったりお昼寝したりの生活を楽しんだ。

ザンベジ川のサンセット・クルージング
ダンスの準備中

アフリカン・ダンス・ショーを見物したが大音量、かつ単調な太鼓連打と、暗くて気づかないが、おそらくひどい砂埃の所為か、胸苦しくなって外へ
出た。夕食はパスしたが翌日は元気になった。

サファリ

アフリカ水牛
近づきすぎたオープンカーを、吠えながら耳を立てて威嚇するアフリカゾウのボス
オスライオン
威嚇するメスライオン 柱は車の一部

午後は小舟に乗ってボートサファリ。

象の渡河、巨体で岸に上がるのは大仕事
先に上がった象が見守っている。
勿論ワニ

まるで初めて動物園へ行った子どものようにはしゃいで毎日を過ごした。
キリンやサルたちや美しい鳥たち、バオバブの木も。

サバンナ


私は砂漠やサバンナを見ていて飽きることを知らない。だからこそ一人で
オーストラリアの砂漠をインデアンパシフィックに乗って横断したのだけれど、ここでも暇さえあればサバンナを見ていた。
どうしてこんなに惹かれるのだろう。

最後に訪れたケープタウンではペンギン、オットセイまでいたし、ダチョウが飼育されていた。
これは私の感じたことで実際にそうなのかは分からないが、ジンバブエやボツワナの黒人たちは南ア共和国の黒人より明るく思えた。

ケープポイントに立つことも出来、幸せであった

マイホームページからの抜粋ですが、幸せな日々でした。自分はあまり旅行が好きではなかったけれど、私が行きたいといえば、気持ちよく許してくれた亡き夫に心から感謝。




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