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電車で30分

地元が横浜の私には、少し複雑だけれど、東京に憧れるその決意と情熱への憧れというものがあった。東京への憧れではなく、夢を追って地方から上京するというその心に。

地元の最寄駅から30分も電車に乗れば東京だったから、用事があれば日常的に行くすぐそこにある場所であって、私にとっては何かを叶える為に決意を持って向かうところではなかった。

20代のしばらくを海や山の近くに住んだり、海外にいたりして、また地元横浜に戻っていたある年、半ば追い出されるようにして東京に家を借りることになった。その時から東京は、日常的に来る場所から、わたしの日常となった。

暮らしてみると、電車で30分の距離はまったく別の世界であるということを肌で感じた。この街はやはり、あの時に感じていた、情熱みたいなものを持って生きてきた人たちの集まる場所なのだと。住み始めた頃はすべてが新鮮で、街中を歩いたり、歩けばすぐ何かしらの路線にぶつかるのですぐにメトロに乗って探検をした。でも、そうやっている間には気がつかなかった。住んで暫く経って暮らしが身体に馴染んだ頃、吐きそうになる程の焦燥感に襲われて初めて理解する。この街で、「なんとなく」生きることの苦しさに。

上京することへの情熱に憧れを感じていた学生時代を過ぎて、環境に合わせて社会を上手に生きていた。時々閉めてある蓋がパカっと開いてあの憧れに悶えることはあっても、上手にやり過ごせる土壌がそこにはあったから。

だけど東京が日常となってからの私には、その心を誤魔化し続けることは、出来なくなってしまった。生きているだけで、どこからも迫ってくる。あの時選択しなかった未来たちが。

電車で30分の距離は隔たりとしてちゃんと機能していた。表面的に上手に生きようとしていては、簡単に淘汰されてしまう場所なのだ、ここ東京は。

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