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いかがお過ごしですか

人気のない商店街、感染者数を伝え続けるニュース、曖昧な会見。感染症騒動のなか日本はすでにゴールデンウィークを終え、梅雨の気配を感じさせている。

〜いかがお過ごしですか〜
そう問いたい人が沢山いることに気づいた。会社に出勤せずに自宅でパソコンに向かう日々。無機質な日々だが思っているより自由時間はあるものだ。

最近は殆どの時間を家で過ごしている。普段から外出を伴う用事が多い自分は、やりたいこと・自宅編が捗り普段とは違った充実感がある。もちろん外に出てやりたいことは山ほどある。

まず週末や大型連休でまとまった時間があるため、溜まりに溜まった本を沢山読める。大好きなコーヒーをいれてゆっくりと読む。苦手なプログラミングに取り組む時間もある。とにかく、時間に追われずに頭を動かす余裕ができた。

社会に興味が湧きニュースを読む習慣もついたし、これからの人生についても考えがまとまりつつある。家でダラダラとあれこれ考える時間があるのは思いの外楽しいものだ。

或る休日、ふと窓際の生えかけの豆苗を眺めているときに「あの人は元気かな」と思った。忙しい日々で思い出す事はないかもしれない、今はあまり関わりのない友人だ。それをきっかけに様々な人に会いたくなると同時に、最近の人間関係を、糸をたどるように、ゆっくりゆっくり考えていた。

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世間はまさに非常事態であり、みんな不安な気持ちのなか生活している。営業を止めないパチンコ店とそこに並ぶ人々、江ノ島を訪れる人々、それらを糾弾する人々。

「自粛警察」という言葉が生まれるくらい、人々は敏感になっている。不安な生活を脅かす存在に攻撃的になるのは理解できるが、今求められているのはそうした攻撃性ではないと思う。

いますべきは自分の行動を客観的に考え、評価することだ。自粛すべきだが、どうしても気分転換に海にいきたいのなら、車で移動し、人のいない深夜に少しだけにするとか、もっとやり方はあるのではないか。

昨今の「注意」は攻撃性が高すぎると思う。SNSの普及も相まって、もはや人々がたかって罰を与えるような勢いだ。見ていてなんとも言えない気分になってしまう。

かつてイエス・キリストが「罪を犯したことのない者だけ、石をなげなさい」と説いたように、糾弾するものはまず自身を見直すべきではないのか?相手の気持ちを考えた上で注意の促し方を考えるべきではないのだろうか。

まずは自分の行動を見直すところから、考えてみようと思った。

これは自粛警察の一件だけに通じることではなく、日常的な人間関係にも言えることだと思う。そうしたらもっと温かい世界になるのではないか。

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こんな世の中だけれど、自分と関わってきた人々は温かい日々をすごしているのだろうか、そんなことが気がかりになってきた今日この頃である。

皆さん、いかがお過ごしですか。

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