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終着点とは

過ごしやすいなと思っていたら暑くなって、
涼しくなったなと思ったら寒くなって、また暖かくなってきて、と日々が過ぎてしまっていた。

コロナコロナ、と騒いでいたらロシアが侵攻を始めてそれも日常に溶け込みつつある。人間は時間に飲み込まれ続けているしそれに逆らうことはできないと感じる。

最近は、周りの人が「何のために生きているのか」が気になっている。こう言うことを言うと、不粋な人には「じゃあお前はどうなの?」と聞かれるが、こう言った人々は僕が知りたい答えを持っていない。

明確な人生のゴールがある人ほど生き生きとしていて、それを持てない人ほど苦しそうに生きている印象がある。人は終着点を求めているのだと最近思う。

じゃあ明確な人生のゴールを持っていればいいのかと思ってしまうが、それは人によって違うと思っている。

僕は生きがいよりも死にがいを求めるし、無限より有限がいいと思う。だけど明確なゴールを決めたいわけではない。

緩やかな終わりがあって、その過程でゴールを自覚するのが理想だなと思う。

明確なゴール、特に納得していない人工的なゴールほど、“達成”までの道がわかりやすいと思うけれど、それは多分最終到着点ではないと思う。

実際に偉業を成し遂げた偉人は成し遂げて終わりではないことが多いだろう。そもそも彼らは目標を持っていたかもしれないが、ゴールは設定していないと思う。

緩やかな終わりに向かう過程で自身の終着点を探すのが、人間として自然な気がするし、自分に納得がいくと思っっている。生涯探求である。

死にがいを持って終着点に辿り着きたいと思うこの頃だが、皆さんはいかがでしょうか。

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