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実るほど頭を垂れる稲穂かな

(みのるほどこうべをたれるいなほかな)


題名にある「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、これは私の好きなことわざだ。稲を人間に見立てた格言で、簡単に言えば人格者ほど謙虚であるというような感じだ。

稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることを、立派に成長した人間(人格者)ほど頭の低い謙虚な姿勢であることを表現している。

稲は最初真っ直ぐに伸び、過酷な自然環境にさらされてやがて実をつける。立派な実が育てばその重みで稲はしなって頭を垂れているように見えるが、中身がスカスカなものは重みがないためそこまで頭を垂れない。

よくできたことわざだ。謙虚な人格者だけが優れていると言いたいわけではないが、人間をよく表していると思う。更にこのことわざは誰が言い出したものかもわからない。それもまた、なにか良いなと思う。

私が人間関係で悩んでいるときに読んだ本、D・カーネギーの「人を動かす」も簡単に行ってしまえばこのような内容だった。人を動かすにはまず自分の態度を変えていくことも大切だと説いた彼も頭を垂れた人格者であったと言えるだろう。

歳をとっても人のことを考えられない、余裕のない大人にはなりたくない。中身がスカスカで頭が垂れないだなんてよくできた皮肉だ。ただ、そうした余裕のある大人になるためには、色々と成長しなければいけない。成長するためには目標や筋道を考えるべきだ。

経験が人を成長させるのは当たり前だけど、行き当たりばっかりなだけでは駄目だ。やはり目標を持つべきで、質の高い成長をするためには目標やビジョンを欠くべきではない。人生の節目では特にそうだ。

会社に入り、研修が始まり、やはりするべきだしさせられるのは「キャリアプラン」だ。

将来どうありたいか。そのために何が必要か。どうやって得るか。それを踏まえてどう働くのか。

大切なのは分かってるしやりたいんだけども、「またこれか」と毎回悩まされる。いつもいつもそうで、これは小学生くらいからずっと続く悩みだ。将来の夢アレルギーなんです。詳しくはこの記事で書いてます。

この問題にぶつかるたびにどんどん将来を狭めてきた自分に腹が立つ。ここからは将来が現実味を帯びてくる。近づいてくる。そうした危機感や焦燥にかられて夜眠れなくなる。新学期や新生活の自分はいつもこうだ。

今回はこれまでのどのときよりも答えがわからなく、危機感が大きい。新入社員という期間は重要だ。ミスが許容され学習する姿勢が評価される。

ただ、明確に目標を持てない場合は筋道を立てた努力は難しい。目の前の仕事やテストをこなすための努力はいつも意義を失ってしまう。「なんでやってるんだっけ」「なにがしたいんだっけ」となってしまう。

考えすぎないことが大事だとよく言われて、そのとおりだとも思うけれど、意義のある努力を経験してしまうとそうした努力は殆ど意味をなさないように感じてしまう。共感してくれる人はいるのだろうか。いたら連絡下さい。

こうしたときにナイーブになってしまうのは自分の悪いところだ。だけど今回こそはしっかり向き合いたいし、自分の人生をどうしたいのか、ある程度決めたい。これが決まった時、立派な稲になるための筋道が立つだろう。

実って頭を垂らせるようがんばりたいと思う。以上社会人1年生の宣言的な記事でした。でも悩んでばかりでうまくいってないので、共感してくれた人、理解してくれた人は相談に乗ってくださいネ。

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