21枚目「 言葉のこうしん 」

今更ではあるが
煙草を辞めた

時たま付き合いで吸うことはあるかもしれないが
口から煙を出す事がなくなった

それと同時に
口から出る言葉の質も何か変わった気がする
煙に巻けなくなったからなのかな?


もしそうであって
煙に巻けなくなったならどうしようか
と最近はよく思ってしまう

そうなると毎度適切な言葉を紡ぐ
ないしは更新させていかなければならない
と考えている

もちろんその言葉に適した空気感や機会は
自身で作っていかないといけないけれど


と、まぁこんな風に考えてはいるものの
私はこれを実行しているつもりではいるが
あくまで”つもり”の状態になっていないか

他者に語弊、誤解を与えてしまうようなことを
滔々と垂れ流していないかがとても不安になっている


私が語弊誤解してしまいそうな言葉を
受ける分には堪えればいいし
その人に対しての認識を改めればいいだけの話なのだが
(最近数回それがあったので)

あくまで私は適材適所に合わせた言葉を
なるだけしっかり相手が見えるよう並べたい

もし適していない言葉を出していたとしても
それを後身させて、より良い状態にしたい

後身された言葉を並べて
文自体を更新させることで
気持ちや想いなどの伝えたいものが届くと思ってる

もちろんその場その場だけでなく
今まで並べた言葉がどう後に作用するか
後で並べた文章が、今までの自身の紡ぎ編んだ文章に
矛盾がないかどうかも考えながら言葉を並べる
(矛盾や引っかかることを
言っている人に対しても認識改めてますごめんね)


言葉というものは案外
聞くということよりも目にすることの方が多い
そんな気がしていて
(というかそう思っている)

口が悪くても選ぶ言葉が適切なら
引っ掛かりはなかったりすると思うのだが

選ぶ言葉を間違えてしまうと
私の場合、何かよく分からないもやもやしたものが
肺の下あたりに漂う感じがする

その際自身の言葉を振り返って何が原因か
探ったり考えたりして、謝ったりもする
(そんなに相手は気にしてなかったりするが)

まぁここまで言っておいてなんだけど
自身を納得させるためであったり
好きな気持ちをそのまま保つためでもあったり
相手を嫌いにならないためにも
こうしている節がある


常に正しくあろうとは全く思わないが
これが私の中での正しさのひとつとしてあるので

そういった恒心をもって
今後も昂進していきたいとは思っている


追伸

今回ただ”こうしん”という言葉を
たくさん使いたかっただけという節もあります
まぁこのエッセイ(?)も言葉を並べて
言葉を行進させて遊んでるようなもんなので
くだらなくてすみません

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