意味を付けたがるのが本望なのか
意味ってなんだろうか。
ある言葉に対して
常に意味があるように、
人生にも意味があるのだろうか。
google先生が答えてくれた
人生という言葉としての意味は、
1.人がこの世に生きて行くということ。人間の生活。「―意気に感ず、功名またたれか論ぜん」
2.人がこの世に生きている期間。生涯。「―わずか五十年」
なんだ。
そーなんだ。
って感じる。
ヒトは言葉というツールを使って
互いにコミュニケーションを図る。
ヒトは思考を持ったからこそ
その言葉には
常に意味を含める。
それは、無意味な言葉ですら、
意味を持とうとする。
好きな子が言った
なんてことない言葉ですら
勝手に意味をつけてしまう。
そうやって意味を作り続けることに
慣れてしまっている気がする。
なんだか、
人生に意味をつける作業は
人生というものに
追われている感覚がある。
***
小学生の頃
考えたことがあった。
自分の知りうる知識の中で
"自分"
という存在は
なんなのか。
死んでしまったら
どうなるのか。
死んでしまったら
どこに行くんだろうか。
いや、そもそも
人間となって
自分に語りかけてる自分は
何者なんだろう。
そもそも地球ができたのも
偶然の産物だ。
そもそもビッグバンが起きなかったら
地球も自分も存在していない。
すごい怖くなって、
湯船に顔を浸して
呼吸が苦しくなったときに
少しだけ生きていることを実感した。
***
生きていくことが人生。
でも、その人生も
たまたま出来上がったもの。
あれ、
人生に意味なんかないんじゃないか。
そんなふうに
今となっては思ってしまう。
意味がない人生だからこそ
何でもできるんじゃないか。
無限に色々なことに
可能性があるように思える。
生きている感覚があれば、
それが自分の人生なんだ。
人生に意味がないからこそ、
可能性は無限にある。
生きている感覚を味わえる
時、
場所、
ヒト、
がそれぞれあるはず。
人生に意味がないと分かれば
こんな問題も解けるかも。
「両手を打つと、音が響く。
しかし、片手で打つ音は、どんな音が響く?」
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