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なにを犠牲にしてなにを代償として得ているのか

この間、映画の『天気の子』を

見て思ったこと。

話の中でネタバレになること

たくさんあります。笑

*

人によって

この映画の評価って

すごい別れてるみたいで、

映画通じゃない自分からすると

そこまで悪いものでもない

気がしてしまうんだけど

まあ人によって価値判断が違うのは

しょうがないこと。

中身というかテーマに対して

気づいたというか、

気付かされた?

いや、勝手に思った?ことがあった。

*

映画の中では、

世界の晴れという"代償"を得るために

ヒロインが"犠牲"になってしまう。

なんだか

"代償"と"犠牲"がはびこるのが、この世界のあり方なのかもしれない

と、想起させられる。

このテーマって

日本みたいに安心して暮らせると

なかなか感じることのできない?

ものなのかなと思う。

前にマイケル・サンデルの

これからの「正義」の話をしよう

を読んだときに思ったことと似てる。

われわれが自らの善について考えるには、自分のアイデンティティが結びついたコミュニティの善について考える必要がある。われわれは道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっと直接的にそれらに注意を向けるべきだ。

映画のストーリーから置き換えるなら

世界の平和という"代償"を得るために

誰かが"犠牲"になっている。

映画の中であった

世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから

というセリフ。

なんだか的を得てるように聞こえてくる。

今こうして

暮らしていられるのは

何がしかの犠牲があるんじゃないか?

と考えさせられる。

*

令和になってから

なんだか悲惨なニュースが多くて

心なしか沈んでいるような世の中。

令和になる前から

そうなのかもしれないけど、

時代の節目にいると

どうしても際立って見えてしまう。

『君の名は。』から続いて

今回もRADWIMPSが主題歌を作ってる。

『愛にできることはまだあるかい』

なんてストレートなタイトルなんだ

って感じ。

歌詞の中で、こんなフレーズがある

愛の歌も歌われ尽くした
数多の映画で語られ尽くした
そんな荒野に
生まれおちた僕、君
それでも
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ

どんなに荒野のような時代でも

愛に、僕に、

できることはまだあるよ

って語ってきてるように感じた。

もう野田さんにやられました。

めちゃめちゃリピートしてる。

会いたいと心から思える人がいる、

主人公がどこか羨ましく思えてくる。

それになんだかちっぽけな自分にも

やれることがあるんだよと

背中を押してくれてる気がしてる。

*

まあ、人によって

善し悪し変わってくるのは

しょうがない話で

それと何かを考えさせられるのは、

また別な話なんかね。

この写真の空も

もしかしたら

誰かの犠牲のうえで

成り立っているのかもしれない

そんなふうに思うと、

切なく思えてくる。

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