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芸術が楽しい

このところ、改めてマレーヴィチやカンディンスキーの本を読んでみたいなという気がしてきた。
芸術は見るか描くばかりで、よく考えないで過ごしてきたから今になって勉強したい気持ちが強くなってきた。
もっと図形や線や点、面について知りたいという気持ちがあり、いまの自分の感覚だけでは全然足りないように思えてくる。

夢の解釈をするだけでも、たくさん取りこぼしているのが分かる。
まったく何も表現できなくて、そうしている間に忘れてしまう。
この世界にはもう満足しているから、それほど感覚を使いたいと思わないけど、夢の世界では知らないことが多いので感覚を変えたいと思う。

ちょっと矛盾した事をいうのが多くなってしまうけど、それ以上に楽しい事が見つからなくなってしまう。
そうすると必然的に何かを書いている事だけでテンションを上げ続けなきゃならなくなる。

とは言え、そんな事を言っておきながら、別に地上の生活や仕事が嫌いなわけでもない。単にすぐにはみ出してしまうだけだ。
定年後のおじさんみたいにたまにバードウオッチングをするのも好き。
鳥を見ていると、かなり賢い飛び方をしていたり、ボケているのも居たりして楽しい。大体みんな柔軟だ。柔軟なのは、空気が見えているからでしょう。

空気の中には色んな知性体がいて、身体を貫通していく。
ちょっとした変化がなぜ起こるのか、日常が慌ただしいとそういうところに注意を向けられなくなるので出来れば程々の生活がしたい。
ただ、夢に興味があるだけで、でもそれはやりすぎるとおかしな人に見えるかもしれない。
もっと異次元を行き来できる感覚が増えたらいい。
世界が一つだけというのはあまりにつまらないので、やっぱりそんな事をいつまでもしていると100年も生きれないで死んでしまうのかもしれない。

今日は朝からシェーンベルクを聴いている。「6つの小さなピアノ曲」が好きだけど、現代に生まれた私からすると、無調音楽も十二音技法も新鮮というより、懐かしさで、ずっと聴いてきた曲に近い。
でも、よく構造を考えたりすると、別の意識が浮かび上がってくる。単調ではなく、感覚が均等に現れる。その中に飲まれるのでなく、そこから裏返されるような。けれど、どれも見当違いの関係性には思えないくらい連動しやすい。
ソフィア・グバイドゥーリナはもっと未来的で、どこからともなく別の時間が現れるみたいな曲もある。宇宙空間みたいな。
どんな人か調べたら、ショスタコーヴィチに支持されたらしいというのをみて面白いと思った。
ショスタコーヴィチの多様性と力強さは感覚の中になかったので曲を聴きながら色々と想像したりする。

音楽は大体どんな曲を聴いても楽しい。
余裕があれば、今年の夏も音楽を聴いてお昼寝したい。

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