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目の夢


5/11 ピンクの粒々

プレゼントの箱を二つほど貰う。
ピンクの粒々のついたチョコレートのような食べ物だった。箱の中に幾つか入っている。
でも、チョコレートではないかもしれない。
茶色の球体にピンクの点が沢山ついたもの。苺の果実の部分は、赤い所ではなく粒々だという話があるけれど、それに似ていたように思った。
茶色の部分は土を表していたのではないか。ピンク色の点は実の部分であったのかもしれない。不活性の土台の上の沢山の活性化した点。思考だった。

棚を整理した後、扉が開いたままバスに乗っているような体感。映像になる。
私は扉が開いているギリギリに乗っていて、落ちないように座り直す。風景を見るように映像を見ている。
蠍座とおとめ座の話だと思われる。ある時期まであった借金についての内容のようだ。
また、片付けていた部屋に戻る。
ある棚には、鳥と小動物が混ざったような生き物がいた。

解釈:プレゼントの箱は二つの世界だったかもしれない。
思考を食べたように思うが、球体だがでこぼこのチョコレートに、粒々が付いたようなものに似ていたのだと思う。今の知覚からすると少しいびつで甘く、見た目は不気味なのだと思う。
その後、棚を整理しているとバスの中から外を見ているような体感になる。
扉が開いたままバスに乗っているので少しリスキー。
蠍座とおとめ座の内容のようで、ある時期までは借金があったことについてだった。
借金はまだ清算していないもののはずなので、蠍座を生命感覚、おとめ座を視覚とすると、片側だけ機能していた状態について言っていたのかもしれない。
例えば、映像だけがあり実感がない状態や、実感だけがあり身体が付いてこないような状態の事ではないかと思う。


5/12 目

何かしようと思い、エスカレーターを友人と降りていた。
友達は、私についている(Tシャツの立体絵柄みたいな?)目のようなものに興味を持っているらしく、その構造について話していた。私は何か知っているらしく、聞かれたことについて話す。
(たぶん会話の中で)ホロスコープのようなものをみて、(同時にプラネタリウムのような一面が星の中)自分よりも大きなものの時は移動の仕方が違うことについて説明している、飛び方についての話、上下の触覚を使う事など。

家の中のとある部屋と、スーパーのような施設が重なり、切り替わるように移動していた。
もともと空気を綺麗するようなものを設置しようと思い移動していたが、気が付くとある男性と一緒に買い物をしていた。
雰囲気的にうお座っぽい。
スーパーの真ん中に黒い箱のようなものがあり、気が付くと男性は商品と一緒にその中に入っている。
スーパーから、重なり切り替わるようにいつもの小屋のような所に出る。以前からよく出てくる月(か、小惑星)に似た役割のような古びた領域。
その一角に、沢山のティッシュの箱が積み重なっているような領域があり、(買う訳でもなく)勝手に中身を持って行くものたちがいるという話。中身が抜けて外側だけになってしまいそうな状態。何か策を考えようとしていた。
(私は水とりぞうさんのような何かを置いたが、おそらく空気洗浄機のようなものだったと思う)

二度目の内容
上と同じように友人と一緒に行動している。
街に出ていたが、途中、本を書いている(有名な?)おばあさんに会ってみたらと言われる。(上の続きなので、私が話した目の構造についての内容に繋がっていると思う。)
おばあさんに会い、自分が持っていたノート(データ)を見せると、私の事を彼女は詩人だと思っていたと言う。でも、私は自分で作家だと言っていた。
(起きてから考えると、作家と詩人の違いはどういう意味で出てきたのか解釈がまだちょっと難しい)
その後、今度は有名なおじいさんを探した。その存在もたぶん、何かを書いた存在の象徴なのだと思う。

三度目の内容
家族と旅行に行くらしく、車に乗っている。
準備を急いだので忘れ物がないかチェックしているが、眼鏡はあるがコンタクトがないと気が付く。まだ戻れるタイミングだと思いつつ、何も言わないが、気が付いただけでまた鞄を見ると、コンタクトが増えていた。
数種類ある。まるでホテルの付属品のように色々種類があるらしい。

その後、角を曲がると、ある中学生男子の大きな(四角い)カバンや保育園に焦点が当たる内容。

様々なファッションについてみた後に、宇宙的仲間と小さな会議のような事をする。連絡を取るようなことについて、通路について、共有し合おうというような内容だったが、ひとまず、鈴に関係する存在が、ファイルのようなものをつくっているのを共有する。

解釈:眠る前に、先日見た(似たイメージで描いてみた)ヴィジョンについてまた考えていた。
奥にあった雲か鳥か、そんな感じの何かは、地上の身体で例えた場合には松果体に関係するのではないかと思う。
この半透明の雲か鳥のようなものは、以前私の身体の上に乗ってきた巨大な何かに似ている。
目覚めた時、黒い水と理解できない半透明の鳥のような何かが乗ってきて体感がすべて床の下に入り込んだ。
私の意識では通常部屋で目覚めている状態でありながら、体感が床下に押されているので身体の感覚すべてが流動的な状態になり、溶けたような感覚でありながら意識は全く知らないものを見ていたので、目を見開いて取りこぼさないようにしようと思っていた。
地下に押されて、地球の底を見ているような感じだったのかなと思う。
また体験したいけれど、最近は断片的なので解釈をやりつくさないと次の切り替えに入れないのだと思う。その領域に不足があると進めない。
この時から、身体が解放された状態を知ったので、意識を保ったまま身体を解放したいといつも思う。エーテル身体に興味がある。
アルクトゥルスとアンタレス、アルシオン、の影響だったと思うけれど、とても気持ちが良かったし、均衡感覚がこの時に新しく変わった。ある意味、上下が変わった。なので、もっと色々な身体パターンがあるのではないかとも思うし、その切り替えをしてみたい。
とはいえ、おそらく、眠る時にはいつもそれを経験していて、記憶が保たれていないだけなのだと思う。一瞬、記憶が途切れて他の世界で目覚める、というのをいつも夢の中でしている。

パターンは色々あり、今日見た夢の中では、次々と重なりが変化するように切り替わっていった。物語の連続性がないのに、入り込んでいた世界が割と流動的に切り替わっていった。
目的があり、空気洗浄機のようなもの、水とりゾウさんのようなものを設置したが、一緒に移動していた仲間は私の胸のところにある立体絵柄のような目について興味を持っていたのでそれについて説明した。
ここで話していたのは、上下の触覚などと話していたこともあり、以前体験した均衡感覚の箱の切り替えのような事に似ているのではないかと思う。

沢山のテッシュの箱(直方体)が積み重なっているような領域で、中身だけ勝手に持って行く存在がいるという話だったが、買わないで勝手に持って行くというのは、買うことを「全部を引き取る」ようなニュアンスで、その思考全体を理解する事だとすると、中身だけ勝手に持って行くというのは一時的な変化とか、分離のようなニュアンスかなと思う。
外側だけ残ってしまわないように、空気洗浄機のようなものを置いたというのは、空気レベルのものが重かったりしたのではないかと考えた。水とりゾウさんに見えたのは、多くなり過ぎた水を抜くのか。
沢山の長方形の箱は、沢山の思考や、沢山の地球を表していたのではないかと思う。

二度目の内容では、作家のおばあさんに会った。
目の構造について話していたことに関する、何かの象徴だと思うが、まだ解釈しきれない。
(が、最近はちょっとだけ生活が慌ただしい。毎日書くのが難しいので、書けるところだけメモしておきたい。)
私は彼女に詩人だと思っていたと言われたが、詩人は歌に関係するように思う。空気のレベルなのだろうか。それに対し、本を書くというのは長編で、世界をつくるようなイメージだろうか。本を書いていると言っても、どんな本かというと、小説などともまた違っていた気がしている。

三度目の内容で印象的だったのは、数種類のコンタクトと眼鏡、そして、色々なファッションと、宇宙的仲間との共有ファイルに関することだった。
視覚、視点、見え方、理解の仕方、に関することだと思う。
鈴に関係する存在は私の夢には何度も登場しているが、また通路を何かしようとしている。


(余談)
今日は一日中雨のようだ。
太陽フレアの影響なのか、ここ数日音の聞こえ方や、気配の広がり方が違うように思える。空気レベルの変化が濃く、そういう時期は(地球の)リズム的に、夢の質感が濃いように感じる。

ここ一週間ぐらい、土星と天王星、やぎ座とみずがめ座について、日常的にどこかで考えながら生活していた。
みずがめ座の土星をジオセントリック的に考えると、やっぱりデジタルとかなのかなと思うけれど、デジタルなものは限定されたみずがめ座的なものという感じがする。
もう物質的な認知されるものになってしまったら、やっぱりやぎ座的要素が強い。
未知のものも認識されると物質になっていく。
3Dも誰かがつくったイメージの中に入るのだから、やっぱりある意味一つの限られた世界に入るようなことだし、身体を解放するような事とは違う。
物質的なものひとつではなく、意図が同じであれば色々な領域に行ける方が楽しいなと思う。身体から解放されなければ、思考は広がらないし、感覚も、心もついてこない。
エーテル身体とはそういうものなのかな、とも思う。
いまの宇宙の見え方は、人の知覚や認識の上で見えていて、動物や虫などもそういう位置から見えているけれど、猫も犬も人をどんな風に見ているのか、想像しているのとは全然違うかもしれない。
みずがめ座について、もっと研究したい。

天気が良いと忙しい日が増えるけれど、身体を動かすほどお腹が空かない不思議。
過剰なコミュニケーションをとっている間もお腹が空かない。
それと、心から何かに集中しているとき。これが一番健康的な気がする。
ストレスがかからなくても、ストレスがかかりすぎても空腹感がなくなる。
脳と心の状態に関係するのだろうか。
昔、食べることがストレスで同じものしか食べたくなかったけれど、最近は食べられるようになったので色々な事に興味が増えた気がする。食べることに無意識に慣れてしまうと、今度は食べるのをやめられなくなるのでそれはそれで大変で、色々試せたらいい。
高校生の時、食べるの苦手で特に匂いがするものがダメでお弁当毎回同じようなのをお願いしていた。何がいいか分からなくて、結構、母は大変だったかもしれない。

近所の河原付近のアカシアがとてもいい香りで癒される。
雨が上がったら、また散歩しよ。

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