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二つの銀河

認識と知覚について考えるとどこまでも深く考えてしまう。
大抵の場合、意識に上がることは知覚であることが多く、認識はどこからやってきたものかわからないけれど、知覚した何かに理由づけて説明する。それによって具体化する。感性や直感である事も説明できる範囲の具体化された知識に入るように思う。
悟性や感性について考える時、全惑星や惑星の存在が十分にそれを説明しているように思う。
直覚は太陽自体がそれであることを説明している。
プルシャとプラクリティの関係は切り離すことが出来ない。

昨日は天の川銀河とアンドロメダ銀河を意識して夢見した。
色々見た中で分かりやすかったのは、ある少女がいちごを食べて白血病の子を演じるというもの。少女はタロットの6恋人のカードを意味するような名前だった。
今月、銀河について夢見しようとして白血病というワードが二度も出てきた。白血病とは自我に関係する改造という意味ではないか。簡単に解釈してみると、六角形が表す宇宙がいちご(血に関係する。自我)を内側に改造、創造をするというような内容だろうか。

銀河は複数の星の集まりで重力によって拘束された天体だけど、沢山の霊魂の集合体でもあるはずで、それらを拘束するものとはなんだろう。複数の星が集まっているのは何故なのか。銀河は楕円や渦巻き以外にも沢山存在する。何か共鳴するものがあるはずで、今の意識からすると立ち位置が小さいまま固定されていてわからない。どこかに立ち位置がなければそもそも何も考える事が出来ないけれど。
ここでもやっぱりプルシャとプラクリティの関係に戻る。
目撃している私と創り出される私。
冥想状態になった後、いつも不思議なのは自分は何を見ているんだろうと思う事。理解しながら、見ているものに追いつかない。とても幸福で時が止まるのに、見ている自分が分からないというのが不思議だ。
心と身体がなければ、認識も知覚もない。真我と幻想の意味がだんだん変わってきてしまい、どちらについてもまだ理解不足だ。幻想を見る事は何の意味もないとされるけれど、意味のないものはどんなものにも成れるという事でもあるはずだ。真の自己は永遠。
沢山の太陽という時、「沢山の私」は身体を持っている。太陽系は身体になる。
沢山の銀河という時、別の集合体という事になるのだろうか。このところ銀河について興味が強くなってきている。
銀河系とアンドロメダ銀河は衝突すると言われているけれど、その頃には地上の生命の姿は変わっている。「私」と言われるものがどんなものになっているのか興味がある。

先日、少し怖い夢をみた。最近見ているヴィジョンは近くて怖いと感じるものが多い。きっと身体(エーテル)に関係するからだと思う。
植木鉢の植物にはじめはグーで手をかざしていて、その後、手の残像が色んな動きによって花の周りを覆っているヴィジョンを見た。それはどんどん細かいフィルムの映像の重なりになり、一度に沢山の動きが重なったようなものになった。
これが夢ではなく、長めのヴィジョンだったので奇妙な感覚だったのかもしれない。その後、家の洗面所の映像になり、次はどの銀河に行こうなどと考えていると、風が吹いてきて、キッチンの向こう側の部屋のカーテンが開き、白い犬がこっちに向かって走ってきた。
変なものを見た時の異質感があり、その後二日ぐらい夢を見るのが怖かった。単に犬が来ただけなのに、とてもリアルに残った。この日はアルヘナを意識していたというか湧き上がってきたので何か関係があるかもしれない。
月が変化するような、怖いと感じるヴィジョンを見た時、ノストラダムスなどはどうしていたんだろう。
手の残像は細分化したもの、別化などを表していると思う。とても沢山の動きが重なっていたし、フィルムの映像みたいな重なりになった。メゾコスモスに関係したアカシックだろうか。
この夢と昨日の夢は全く関係がないわけでは無さそうだし、もっと前のものにも繋がっていそうだから色々解釈を広げてみたい。また段々キリがなくなってきてしまった。

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