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記憶

夢の記録と解釈を続けていて、記憶がどう連動しているのか考えるようになった。日常の出来事は少し忘れていても感覚記憶として何かをきっかけに思い出す。昨日、或いは三日前、何を食べたのかすぐに思い出すことが出来る。たとえ無意識だと思っていたとしても、感覚のどこかが覚えている。
夢はそうでもなくて、ちゃんとそこに自我があれば思い出せる。
感覚は身体以外の所にも働いている事がわかる。
そうではない場合の夢は曖昧だ。
夢は夢のままだとすぐに忘れてしまう。だから出来るだけ毎日記録して時間がある時に解釈してみるけど、感覚がある夢は少し時間が経っても覚えている。冥想状態ならもっと、時間が止まったものとして残る。
書いて、解釈して形が変わった時、やっと現実になるみたいに思うものもある。
本当は私以外誰も分からないようなものを長々書く必要はないのだけど、持っているものを定期的にどこかに流さないと流れを知覚できなくなる。全部吐き出す必要がある。(なので実際は集合意識体に向かう為にただ全部書いてるだけの記録ではあります。)細かくなった惑星意識を集めて上昇させる事、新しい形として現実にさせる事は記憶の集合体にとっては意味がある。
自分の身体は自分のもの。だから他の人は関係ない。と、思っていた事もあったけど、大きな意味では身体は地球のもの。惑星に借りたもの。精神と身体が合わない所に歪が出たりする。そのことについて考える事は異なる性質をより合わせて創造の土台にする事でもあるはず。
身体が痛んだ時、実際は他の大きなレベルでも反応しているものがあるんじゃないかと思う事がある。
上昇した、今の認識とは違う惑星意識について考えている。
どんな精神と繋がり、どんな形に成るのか、私の妄想ではなくヴィジョンとして飛び込んでくるものが新しい現実だ。
本当の創造について私はまだよくわかっていない。
こんな事を真剣に言ってしまうのは変な人。
日常意識では出せないのでここに少しばかり記憶のスペースとして開けたい。

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