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たぶん10年ぐらい前。
ステイシー・レヴィーンの作品にハマっていた。その翻訳された文章が好きだった。
読んだのは二つか三つぐらい。とても短く、執拗に文体が繰り返されたり、何度も「私」と出てきてしつこい。
抽象的で、途中から奇妙な内容になっていく。

丸々となりたくて、ケーキに思いを寄せて、棚まで用意して、目的のものを手に入れる。
でも、いざ買うと、家の外で動かない犬と猫が見ている。
ケーキは箱に入れたまま、古くなるのが分かっているのに背の高い犬と猫が見ているのでいつまでも食べることが出来ない。

他にも、腰にくっついている弟が嫌いで仕方がない詩のように短い内容も何故か気になって何度も読んだ。
赤く、小さい腰の弟の泣き声が聞こえないように砂の上に横たわって隠している。

何を言いたいのか考える事に夢中で、その頃は、文学ではそれ以上に面白いと思うものには出会えなかった。

はじめはこの物語は単純に幸せになれないのだと思っていたし、過去に引きずられていると思っていた。人格も破綻してる。それに、こんなにはっきり丸々となる事を望んだり嫌いだと執拗に書く事が理解できなかった。
それほど嫌いだというこの感情のうねりはどういう事なのか、と。

読み返すうちに、何か違うものに変貌していき、漏れ出してしまうものがあるので解釈を繰り返した。もしかすると、原文とはズレていったかもしれない。
気付いたら書かれていないような事まで想像してしまうのが小説の力だ。

感覚の中に似たものがあり揺すぶられたし、何度も読んだが、はっきりと分からないものに接したまま、という期間は長かった。
実は見えていない、自覚のない、沢山の気づいていない事があり、そういうものが反応していたのだと思う。

物語自体から抜け出す方法は全然違う視点から提示される。

沢山本を読んでいたのにもうすっかり読まなくなっていたのでかなり久々にまた読んでみようと思って引っ張り出すと、カビの匂いで鼻と喉がやられた。
二つか三つ、読んだ気がしていたけど三つ目が見つからない。
そんなのなかったのかもしれない。
最近は何か翻訳されていないのだろうかと思って調べてみたけど、新作はないみたいだ。
色々レヴューを読んでいたら、ホラーの分類だったらしい。いつの間にか純文学にカテゴライズしていた。

これがホラーなら私がしている霧の探索などはもっとホラーかもしれない。
もはや何を言ってるかもわからない霧が隣にいる。

自己想起は色々な方法で出来るけど、それが自己想起だと気付くまで時間がかかる。
文学だけだと見落とすような事もあるし、いろんなところから見てみるのがいい。


この間、夢で四万円の写真立てを手にした。
この世界で自分の反対側に居たのは砂漠の風で、エジプト神話のセトのように思えた。

砂漠の風は方向性を作り出す。
砂漠の風なのに、本当は水に詳しいんじゃないかと思ったりする。

夢で家を作っている人たちがいたから、設計を手伝いたいと言うとスープを作って欲しいと言われた。
起きて象徴解釈してみると、家のデザインとスープというのが関連していたようだ。スープは閉じ込められない家であり、発展した感覚だ。オリオンの腕にタッチしていたので、オリオンに関係するスープらしい。
前に何個も透明なペットボトルを持って3人で洞窟に行く内容をみた。きっと沢山の水を集めることで、知覚を増やしているのだ。

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