占星術も面白い

最近は、占星術について考えるのも面白いと思うようになってきた。
基本は教科書などで読んだけど、ホロスコープは見方によって解釈が変わっていくし常に更新されていく。
数字や図形の意味など考える事も無かったし、数年前まで占星術の存在を知らなかったけど、夢に登場する比率が増えて細かく考えないわけにはいかなくなってきた。
ジオセントリックとヘリオセントリックについて考えるとなんとも言えない矛盾を感じる。
ジオセントリックは地上から見た世界の図なので恒星は降りてこない。1なるものはすべてに宿るし、ミクロコスモスについて考えてしまっていたので前は何かそれは変だと思っていたけど、身体の外側の図と考えると納得する。外側の視界に映るもの同士の事なら切り離されている関係になる。ヘリオセントリックが太陽から見た図ならば、共鳴関係としてはもしかするとミクロコスモスはこっちに近いのかもしれない。(とはいっても、実際はミクロコスモスにも二つのパターンが出来るとは思う。)
通常の認識ではこの二つは混ざりやすいはず。身体と気持ちが切り離されていないところでそれを自分だと認識していることは多いと思う。想った感情をそのまま地上に見える世界に当てはめていくようなものだ。それが何処から来ているか分からないインスピレーションだったとしても自分の感情として受け止めてしまう。或いは見えたもので判断してしまう。
図で認識すると、ある程度切り離せるし普遍的解釈に近づいていく。

タロットなどもアーキタイプを組み合わせたり直感でひくので対象化するのに繰り返し使える。
地上で動いている世界か心の中の世界かのどちらかだけでなく三番目が出てくる事で対象化出来ていく事もあるように思う。
たぶんそれは占星術だけではなくなってしまうけど。

ジオもヘリオもある見方を使うとどちらも12の区画を使ったりするから表裏の関係みたいでもある。数字として考えていくと結局トリグナの関係からは出てはいないように思うけど、外に見える世界は無意識の流れに一体化し動いている。意識化され動いている比率が少ないという事なのかもしれない。結局そこが元の意識と連動していないポイントになる。
これだけで膨大。
これらは相当細かい層になっていると思うし複雑だ。
本当はもう一つか二つ分類があってもいいんじゃないかと思ったりするけど、その間のものは半分しか図にはならないと考えるのもいいし、沢山できるのもいい。
二つが脱色され残った現実が別のところに出来てもいい。
例えば夢で象徴的惑星をみていくようなものは図には表れにくいけれど、案外トランジットの重なりは影響があるように思う。特に地球ポイントや月の軌道あたりはとてもはっきりしている。(時もある)
神話は地上にあるけどどちらの比率が高いのかわからない。
共通認識となるものは感覚の中では蟹座、山羊座的な比率が高いものであるはずで、それはやがて地上的になるはずだけど心の奥から来ているものでもある。
結局、世界の中で認識しやすいものはどれも濃い感覚と抽象的感覚が重なった幻想の中にあり比率が変わるだけかもしれない。動きが止まったところで死んでしまうし、移り変わっていく。
そんな事を考えていると、新たな働きを作る意識というのは常に創造的で、どこかに余っているものなのかもしれないと思う。思考でも感情でも身体でもない余白が、意識化を働きかける。

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