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集中

毎日集中する訓練をするなら冥想する時間を決めた方がいいのかなと思ったりしたけど、私は朝起きた後は集中できなくて、夜完全に寝てしまう前の数時間か朝起きた直後の数時間でヴィジョンに入って行くやり方がやりやすい。
でも、集中や興味を日常に遮られないならいつでもいいし、そういう生活を自分から引き寄せる事も必要なのかもしれない。
完全にヴィジョンに入ろうと想った時いつでも出来るようになりたい。とはいえ、結局川の流れは個人的想いで遮らないで湧き上がって来ないと正しくない。自分の想いだけで出来る事は異次元からの流れではないし、定期的に何時でも出来るようになるには完全な集中を習得する必要があると思う。
今は自在とまではいかないけど、とにかく毎日集中してみるという事といつでもいいから何か書こうとすることで途中で川が現れる。
これは全然無理なく出来ることで、隙間に川を呼ぶみたいなやり方だ。いつの間にかそこにいる。でも、もし川が中心の生活になったら殆ど何も出来なくなるのかも。使い分けようとすることで今の生活が成り立っている。理想は少しずつ、川の流れのままで生活に侵入してくる事。今はあまりにも日常が違う。私一人の事でもない。

ただ存在することを説明するのは難しい。
変わらないものというのはどんな形にもならない。
中心の自分は見えず、それを映し出すものは幻想でどんなものにも変化できる。

私はリラを見たのだからリラではないけれど、爆発したのだからすでにその事を知っていた。
私はスピカを見たのだからスピカではないけれど、変わらない幸福感、永遠と感じる。
私はデネブを見たのだからデネブではないけれど、白い霧や透明な靄として、それ以外まだ何もない世界に誕生した。
どれでもないというのを最近はよく考える。
どんな生命でもないし、どんな生命でもある。

知らない色の重なりや統合されたものが回る動き、走馬灯のように知らない星が見えたのは今より大きなコスモスの知識で、完全には理解しきれないけれど、これも太陽系と言えるかもしれない。
幾つかの統合された知識が自分の周りをまわっている。これはGCSかなと思ったけど、この経験は一部で、デュートロコスモスという抽象的範囲として考えてみるとまだまだ大きいのかもしれない。などと、思ったりした。これは、この銀河から出てしまうのだろうか。幾つかの星が混ざってしまいよくわからなかった。
つまり位置が分からないという事でもあり、意図した所に行けない、しかし、いつまでも終わらないという事でもある。
この下の太陽系となると、世界として成立しているはずで、蟹座アナハタを通った。私がヴィジョンとして見たものは幾つか混ざっていて、本当は星の名前と見たものをくっつけない方が正しいのかもしれない。切り離されていないものだった。
この辺りをまた整理したい。

形として見えない星は永遠で変わる事がなくそれ以外を知らない。
けれど、この宇宙から見える星の動きには関りがあり動いている。
この関わり合いというのが何なのか、色々考えていくと不思議だ。頭だけでなく、丸ごと入り込むと、凄いことをしているように思えてくる。
生命ではないものと生命の大きな川の中でどんどん拡大していくような。


昨日松村先生の教材動画を見ていたら、ユクテスワについてだった。
私は最近ユクテスワに興味があり、ちゃんと本を読んでみたい。
そういう知識がほとんどなく、スピリチュアルな本は実はあまり読めていない。自分ではじめて買ったのはトム・ケニオンの本でその後はドロレス・キャノンを半分読んで挫折した。でも、QHHTというのは興味がある。続きを読みたいなと思ったまま大体寝落ちして、最後まで読んでいないのでいつまでも終わらないかもしれない。
何故か眠くなってしまう。
後は松村先生の本を何冊か読んで、気が付くと本をあまり読めなくなってしまっていて、教科書的な同じ本を何度も読んでいる。(大体電子書籍)興味があっても読み切れないので買わないことが増えた。本当は、同じ本を何度も読みたい派で一年ぐらいかけて読める薄い本か辞書みたいな本とかあればずっと楽しいだろうな。笑
思い出してみると、最近は殆ど松村先生かシュタイナーか芸術系の本しか読んでいない。数年前まで興味があった黒いアテナや神話についての本もまだ枕元の本棚に入ったままだ。

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