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池から洋服を引き上げる夢

前回見ていた斜めの位置から取り付けた筒の夢の続きの解釈。

夢1

鳥のように行き来するトレーニングのような内容。

数回その雰囲気は登場している(が、そのイメージはあまり連続的に見ない)家で食事をしている。夜中に風が吹いたのか、洋服が池に落ちている。上は黒、下は白の洋服(両側のポケットに誰かの嘔吐が入っているような)ものを池から引き上げる。
(実際に自分が使っている洋服)
私は朝起きてそれをネット(電波)にメモしていると思っていたが、まだ起きてはいなかった。
きっとH96の身体に関することだと思われる。
身体の具合が悪いので(特に目)横になり、あるコーディネートをして電気屋に行くというような内容。

解釈:前回斜めの感覚のラインに黒筒をつけようとしていたが、これは一人でしていたわけではなく、複数いて、太陽系の惑星が動いているように思っていた。今の身体感覚、今の思考体系からすると、斜めの感覚になるようなラインという事ではないか。
そこに対して広がっていくトレーニングのような事をしている。
夜中に風が吹いたのか、干していたらしい洋服が池に落ちていたというようなニュアンス。夜中とは暗闇、まだ未知の事とすると、池にそれが落とされている。
18「月」のカードのようなイメージなのではないかとはじめに思った。
不思議なのは、両側のポケットに誰かの嘔吐が入っていると思っていた事で、嘔吐だが、それはモヤモヤとキラキラが混ざった火と水が混ざったようなものだと思っていた。決して汚いとは思っていない。しかし、嘔吐というのだからミクロコスモス的でもある。上から吐き出したもの。吐き出されたもの。二つのポケットに入っていたのだから18「月」のカードの犬の位置に当たるところだろうか。三分節であれば、旧脳のところがズボンのポケットだ。この洋服はミクロコスモスの私が受け取るものなのかもしれない。
池は蠍座的。生命感覚。スワディスタナのあたりが思い浮かぶ。
月の身体が変化しようとしているように思われた。一時的な接続変更のような。


夢2

(vision)
夕暮れのベランダに黒い紐が螺旋のようになっているのを見る。

夕暮れは昼から夜に向かう間の時間帯。そこに黒い紐が螺旋になっているようなものを見た。黒い紐は前回黒い筒だったもので、道と思っていなかったような所に伸びていったものではないかと考えた。


夢3

ヴィジョンから夢に入る
宇宙空間のようなもの。奥行きがあり、奥の方にバァ~っと玉のようなものが広がっていく。デネブを意識していたのでそこに繋がる銀河イメージだろうか。

タカセクラスという植物のようなものが出てくる
(ちゃんと自分で〇〇を見つけなければならないことについて説明される)

眠る前、入浴の前だが、コンタクトをしていないと感じ装着する(それが当たり前であるかのような)
そういえば、最近は眼鏡ばかり使っていたと思い出す。

そこから記憶が飛ぶと、どこかの街をうろついていた。
私はショップのようなところに行こうとしている。歩いていると、通りすがりの店で服屋を指導する存在が来ているのが見えた。
何処かで切り替わり、とある部屋で起きる。
私たちは小さいらしく、来客は大きいらしい。顔しかみえない。扉よりも顔の方が大きい。
(ミクロコスモスイメージだろうか。)
頭痛がするからと休んでいる子がいたが、そこに指名があり起きたようだった。
別の部屋に移るとき、私はその子になり、全く別の子たちがいる部屋に行く。
本当は5人程でそこを使っていたが、3人という事になっているらしかった。
トイレを使用したら、そこにマークをつけるらしいがそれが3人の記録をつけているらしく、私は除外されている。(が、普段通り(見えないものとして)使用している)

大きな会場に移ると、ドームの中のようにみえる。
(何度か登場している。銀河イメージだろうか。)
何かについて、至近距離で見れるらしいところに移動している子がいる。メンバーは沢山いて、会場も色々な出し物をしている。お互いどの領域にいるか見ている。

解釈:一瞬だけ、銀河のようなヴィジョンが見えた。
奥行があるというのが印象に残る。気づきのように心が動いた。身体の奥のどこかと連動されたのだと感じた。
「タカセクラス」という名前の植物が出てきた。タカセとは高瀬だろうか。それとも高背?(背の高い植物)鷹世?なんてものも浮かぶ。
空に向かって伸びた植物なのか。
それとも、川の流れのはやい所のニュアンスに似ているのだろうか。
それは植物であり、川でもあり、エーテルでもあるような。深く、流れの遅い所というより流れの速い所で自分で見つけなければならないものがあるらしい。惑星に例えるならば水星や金星だろうか。月はもっと速い。
この日見たのは、ミクロコスモスについてなのではないかと感じた。
自分は小さく、相手は扉よりも顔が大きかった。客観して見ていた相手が指名され、その後、別の部屋に移る時には自分はその子になっていたかのように切り替わった。
印象に残ったのは、メンバーの内3人はマークが付いたものがあるのに、自分はそれ以外のマークのついていない見えないメンバーのようなところにいたことで、でも指名があったのならばそれは意識化しなければならないということでもあると思った。

そんな今日、夢の中で車の後部座席から畑の風景をみる。そこに、何枚も写真を撮りながら道を歩いている二人組をみた。色んな撮り方をしているが、何を撮っていたのかよくわからない。風景というより、空気のように見えた。何か映っているのか。
ちょっとオリオン系の印象に重なった。
このところ、夢の中で集合写真とか、記念撮影のようなものを垣間見ることが多い。けれど、私は行けたけれど行かないことが多い。完全には入らないで、隠れるように移動するのはそこに収まることが出来ないからなのだろうか。アルニラム的行動?
この曖昧さがそもそも意図だと思っていいのか。それをしっくりくると言っていいのかわからない。

意識によって現れる自分と、本能から湧き上がる自分について、最近、どこかで考えている。どこにも収まることができない。身体が自然的に感じる感覚的私と、意識によって自分はこうだと言う私。それを身体と思考だと簡単に決めつけることが出来ないのは、どこまでも深いからで、いつの間にか、身体にも思考にもまだなっていないようなものになってしまう。怒りに似たようなエネルギーは収まるべきところを探している。身体や思考との摩擦で、居場所を失っている絶望的な感情。けれど、すぐにまた、安定した冷静さに戻る。
意識に向かう時の微妙な知覚が常に変化しているならば、思考が新鮮であるならば、何度も一時的に収まるところを見つけられる。
簡単な表現をするなら、本能センターと動作センター、感情センター、思考センターが連動していくような事だ。
本能的なものとして湧き上がってくるようなものも、生活の上では表層の所にあたり、元々備わっているようなものも、環境によるものであれば、すぐに解決するようなものも、そうではなく癖のようなものも、意図に繋がっている違いも、細かなところでは、自分でも意識できていないような所で反応しているようなものもある。

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