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perfect days

ずっと書こうと思ってたけど、億劫になって今に至ります。

観た直後の「いますぐ誰かに語りたい!」と溢れ出ていた熱はとっくに冷めてるけど、自分の記録までに。

あくまでも自分用なので、あらすじは省略するとして。超簡単にまとめると、東京で公衆トイレの清掃員として働く平山の繰り返される「毎日」を綴ったストーリー。

私がこの映画を観て感じたことは何点かあって。
簡単にまとめると以下の通り。(初めて目次なんか使っちゃって!)

先に言っておくと、私はここで描かれてることの背景や社会問題には精通してないので、素人の一方通行な解釈にすぎないです。では本題へ。

海外から見たCOOL JAPAN,TOKYO

WABISABI

スカイツリーの麓、木造アパートで1人慎ましく暮らしていること。
トイレ清掃員という仕事に対しても、真摯に向き合う勤勉さ。
他にも、銭湯の裸の付き合いとか、畳の上に布団オンリーの質素な暮らしとか。
ドイツ人監督の目に映る、日本人のWABISABIはこれでしょ!と言いたかったのかな。なるほどね。

そして、日本人にWABISABIの精神がありながらも、1人の人間の心に構うことなく、うるさく忙しなく時が流れるcrazyな街, TOKYO の対比。

留学先で感じた「日本」のイメージ

「海外から見た日本」には思うことがありまして。フィンランド留学中にInternational Leadershipの授業で各国の国民性をカテゴライズして捉えるワークがあったんだけど、日本(人)はどこのリストにも属さない、不思議な存在として紹介されてて。


競争心はあるけど、足並みを揃えて。欧米ほどの個の自立もなければアジアに見られる集団意識・家族愛もそこまで強くなく。ルールを作って、不確実なことを減らしたり。Ringiに稟議を重ねたり。(詳しくは”ホフステードの6次元モデル”で見れます)


ざっとまとめるとこんな感じ。
この講義と学生の反応から私が感じ取ったのは、日本って「基本シャイなのに総合力に強い、矛盾だらけのなんかおもしれー国」ってイメージなのかなということ。
なかでも、TOKYOはその代表例で、全国から集まった強者たちが形作ってるからより一層crazyでchaosな街として世界の共通認識を得ているんだろうと。

公衆トイレが機能するということ

加えて、公衆トイレが機能している環境衛生の高さも海外から見たらおもしろいポイントなのかもしれない。
留学中に軽く衝撃を受けた(&不便だった)のが、街のトイレが自由に使えないこと。無料のところは基本汚くて入れたもんじゃないし、大体はお金を払ってやっとトイレに入れるといったところ。
旅行するときに「このきれいなレストランで行っとこう!」ってトイレまでスケジュール管理してたのも懐かしい思い出。

たかがトイレ、されどトイレ。
対価が必要で、それを払って初めてトイレを使う権利が得られるのだと。トイレ1つであれこれと考えてたことがなんとなく繋がった気もする。

平山の人間性の描写

登場人物の意味

平山の毎日は何の変哲もない。朝起きて、植物に水をやり、仕事へ行き、銭湯で汗を流す。外で夕食を済ませ、読書をし、眠りにつく。そして朝が来る。この繰り返し。主人公は基本語らず、毎日同じような映像が淡々と続く。だが、彼がわずかに持つコミュニティ内の人間の行動、つまり彼にとっての”イレギュラー”によって彼の感情や人らしさ、大切にしていることが浮かび上がってくる。
劇中にいろんな登場人物が出てきて、何かの伏線かと集中して見ていたが、深い意味は無くいたってシンプルであった。これらのシーンは、平山の生活と同じ単位で登場するものの、すべては平山にとっては一日のささいなことでありながら、嬉しくなったり悲しくなったりと彼の感情の機微に触れる重要な役割も果たしていた。

木漏れ日

平山の同じような毎日の締めくくりに、彼が趣味で撮る「木漏れ日」の写真が流れる。この木漏れ日の写真が一日一日を区切るトランジションの効果を持っていた。
私は、ずっとこの木漏れ日の映像が何を意味するか分からずに見続けていた。木漏れ日=光と影から成ること。すなわち、彼と姪っ子の生活の差、煌びやかなスカイツリーとタワー下暗しな木造アパート、暗いうちに働きに出て昼すぎには退勤する彼の働き方、みんなのアイドル的存在スナックのママとその過去。いろんな光と影を連想しては、木漏れ日と結びつけていた。

これらも解釈のひとつになりうるが、最後にちゃんと木漏れ日(komorebi)の説明が文章でされていた。詳しくは覚えていないが、「ひとつとして同じ木漏れ日は存在しないこと。」とあった。つまり、平山の毎日も同じように見えて、まったく同じ日はないということ。最後にこの説明が映し出されてとてもスッキリした。日本の映画であれば、ここは敢えて説明されない気もしたが、海外向けかつノンバーバル要素の強い映画であるゆえ、ここは監督も入れておきたかったのかなと思う。日本の概念は説明も難しいし。

長くなりましたが、私が言いたかったことはざっとこんな感じかな。
他の方の考察なり感想を見たけど、自分には及ばなかった考えやこの問題の背景が知れて、もっともっと深いところで表現されているんだろうなと思います。勉強になりますね。

音楽をかけてお掃除マイカーで駆け抜けるラストシーン。平山は明日も仕事をして、何かに感情揺さぶられて、変わらず過ごしてるんだろうなと思うとなんだか嬉しくなったな~。いろんな気持ちになったけど、最後は爽やかでした。めでたし。

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