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「今、此処に在ることに感謝」 #13

「横の他人と比較するのではなく、縦の自分と比較しよう」

これは、人はついつい誰かと比較して優越をつけてしまいがちだが、それでは嫉妬による軋轢や劣等感、優越感による差別的な見方が生じるが、自分の過去と比較したら、誰しもがほんの少しでも成長しているし、そちらにスポットを当てよう!ということを示している。

他人と比較することに意味がないとは思わない。

だが、上を見ればきりがないし、下を見ればきりがないのが人間界の掟だ。

例えば、王様の世界だって、その一国でのスケールでは頂点に存在していたとしても、他国との比較の中で一番かと問われれば、もっとデカい国やもっと発展している国、もっと国民に信頼されている国があるのだとすれば、それは唯一無二で頂点に君臨しているとはいえない、

ホームレスの世界だって、どんなに落ちぶれていると、俺が世界で一番不幸だなんて下を向いたところで、幼少期から頼るものもいない環境でホームレスになっている人と出世コースまっしぐらだったけど、途中で社会的に生きることが嫌になってドロップアウトした人とでは優劣が生まれるし、どんなに国内で一番不幸だーと嘆いたところで、世界を見渡せば、幼少期から銃を持たされ人を殺すことを生業にせざるをえない国や、生まれた時から戦時で安心して住める場所や安心して食べられる食料すらない国もたくさんある中では、自分より不幸と思える人などごまんといる

つまり、横の他人と比較して、ああいいなと思い、例えばその嫉妬した横の他人と同じ環境になったとしても、さらに横の他人との比較の中では劣勢であり、その欲望への追求はゴールのない旅への始まりにしかならない。

しかしながら、過去の自分というのは、唯一無二の存在であり、それ以上でもそれ以下でもないということを考えると、そこと比較することで自らの自尊心は保たれ、嫉妬の永遠ループという罠に陥ることはなくなる。

そして、自分自身を生きるのは、他の誰でもなく自分自身でしかなく、あなたが私を生きるわけではないし、私があなたを生きるわけではないということでは、他人との比較ほど無駄なことはないと言えるのでないだろうか。

もちろん、誰かに憧れてそういう風になりたい!と思うことを一方的に否定するわけではない。

それはそれで、一つの自分が目指すべき道しるべとしてモチベーションをあげたり、ビジュアライゼーションを働かせる上では有意義である。

しかしながら、あの人だから偉いとか、あの人だから自分より劣っているといった類の比較というのは、そこに何らの生産性も持たないということである。

「横の他人と比較するのではなく、縦の自分と比較しよう」

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