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「今、此処に在ることに感謝」 #44

「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったものである。

目の前の人のことは、良い部分も悪い部分も、吾輩の眼を使って、吾輩の五感を使ってよく見れるものである。

だからこそ、この人のここはあーだこーだ、あの人のここはあーだこーだと言うことが出来る。

しかし、一旦そのベクトルを自分自身に向けてみると、

分かっているようで分かっていないことの方が多かったりする。

主観性と客観性の違いともいえるが、

あーだーこーだ言っていることも、主観的にみれば正しいが、客観的にみると自分もそれと同じことをしていたりすることすらある。

これはまさしく「裸の王様」であって、その時に多くの人が、「あなたも同じ事やってるよ!」とは言ってくれない。心のどこかで思うだけで、その事実に直面することは限りなく少ない。

だからこそ、「人の振り見て我が振り直せ」ということを常に自問自答し、それがおかしい、あれがおかしいと思うようなことを発言する前に自分もまたそれと同じようなことを客観的に見た中でやっていないかと問いかけることはとても大事なことだと思う。

結局のところ、自分自身で気が付かない限りにおいて、その事実を知る由はないのだから。

逆にいうと、そういうことを教えてくれる人というのが、本当の友達と呼べる人だったりする。

大概の人間関係において、あなたがどうであろうが我関せずのポジションの人は多い。

その我関せずにも、もちろん言いたいけど嫌われるのが嫌だから言えないや単純に興味がないから言えないによってもスタンスは変わってくる。

しかし結果的にはその動機がどちらであれ、その真実を知らずにいるという事実だけは変わらないのである。


これは、主観的がダメとか客観的がいいとかそういった類の話ではない。

主観的に思うことは思うこととして大事にすべきだし、しかしそれと同じくらい客観的にみてそれに対して私自身がどうなのかという目線を持つことも大事だということだ。

周りを見渡すと「裸の王様」がたくさんいる。

しかし、「裸の王様」というのは、自分自身が「裸の王様」だと自覚していないからこそ問題なのであって、

「吾輩は裸の王様である」と自覚してのことであれば、まだ良い。

「人の振り」を見た時にナニカを感じることがあったとして、それと同時に「我が振り」を見返す癖をつけることは、

私が私である自覚をする上でもとても大事なことである。

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