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仏教の前提知識①(仏教の歴史的広がり)


はじめに 

 仏教とは何でしょうか?

 仏教とは、キリスト教・イスラム教に並ぶ世界三大宗教の一つです。およそ2500年前に古代インドのゴータマ=シッダッタ(ゴータマ=ブッダ)を開祖として成立した宗教のことです。
 ここまではご存じの方が多いのではないでしょうか。ただ、これだけでは、仏教とは何かが分かったようで分かりません。では、より正確に仏教を理解するにはどうすればよいでしょうか。そのためには、まず前提知識が必要となります。なぜなら前提を知らないと、「仏教」といっても、約2500年もの長い歴史のどの部分を議論しているのかさえ、正しく認識することができないからです。2500年もの歴史はあまりにも長く、多くの人々が歴史を紡いでいく中で、実に多様で大きな変容を遂げてきました。さらにはインドを超えて広く世界に伝わり、それぞれの国でも独自の発展をしていきました。これら全てを概観するのは極めて困難なことです。そのため本記事では、まずは要点となる前提知識を紹介していきます。ちなみに仏教用語は、一般的な読み方をしないことが多いため、難読漢字や重要語などには正しい読み方をルビにふりました。

仏教の歴史的広がり

 仏教の広がりを時間的・空間的な視点で見てみましょう。今回の記事では、時間的(歴史的)な視点に絞ってみていきます。

図 1:インド仏教と仏教の広がり(引用元は上ですが、現在、元URLは消滅している模様です。ただし、左図の第2結集(根本分裂時)の赤字部分は筆者が挿入)

 上図は仏教の広がりとして、発祥地インドでの展開と各地への伝播を時間的(左)・空間的(右)に見た図です。
 それらの大元であるインド仏教を時代区分すると、原始仏教げんしぶっきょう(※左図の「初期仏教」にあたります)・部派仏教ぶはぶっきょう大乗仏教だいじょうぶっきょう密教みっきょうの4つの時代に分けられます。そして知らない人は驚くかもしれませんが、インド仏教は13世紀初頭に一度滅亡しています。そして、近年復活しています。

 基本的にインド仏教は、原始仏教→部派仏教→大乗仏教→密教のように発展し、それらが主流になります。そして各時期において主流な仏教が世界に広がっていきました。ただし注意点としては、原始仏教を除いて、それ以前の仏教が発展後もなくなったわけではないということです。つまりインドにおいて、部派仏教は大乗仏教が生まれてからもインド仏教滅亡までずっと存続していたし、同様に大乗仏教も、密教が生まれてからインド仏教滅亡までずっと存続していたことが知られています。

原始仏教

 ここから各時代区分の仏教について解説します。
 原始仏教とは、およそ2500年前に開祖ゴータマ=ブッダが直接教えを説き、その教えを継承した直弟子やその後の何世代かにわたる、最初期の仏教のことです。初期仏教しょきぶっきょうとも言います。ちなみに「原始仏教」や「初期仏教」といった呼び方は、研究者によって用法や定義が微妙に違っていて、一貫はされていません。
 その後伝承によって違いがありますが、ゴータマ=ブッダ死後100年もしくは200年に、仏教を正しく後世に伝え続けるための仏典編集会議(第二結集けつじゅう)が行われました。そこで、戒律(生活規則)などについての意見が合わず、教団が2つに分裂してしまいました。これを根本分裂こんぽんぶんれつと言います。

部派仏教

 部派仏教ぶはぶっきょうは、根本分裂後の時代のことを言います。「部派ぶは」とは、分裂してそれぞれの派に分かれた仏教教団のことです。つまりこの根本分裂があるまでは、一つの仏教教団として存在していたのです。しかし、根本分裂において分かれた保守派である上座部じょうざぶと、進歩派である大衆部だいしゅぶの根本の二部派と合わせて、その後200~300年でさらに内部分裂をくりかえしました。部派の伝承によって異なりますが、最終的におよそ20部派に分かれてしまったとされています(これを枝末分裂しまつぶんれつと言います)。
 分裂してしまったとはいえ、この部派仏教は、原始仏教の系統を直接受け継いでいるのは間違いありません。
 
 原始仏教においてゴータマ=ブッダは、対機説法たいきせっぽうという各人各人に合わせた教えを説いていたため、統一的な仏教教理に基づいて教えを説くことはありませんでした。しかしゴータマ=ブッダの死後、伝承された教えを正しく理解をしようとして、やがてそうした統一的な仏教教理の体系化を求めるようになります。
 そのため各々の部派教団では、ブッダの教えに対する解釈・注釈書として、独自の仏教教理理論(論蔵ろんぞう)を各自で確立させていきました。ですがその結果、ゴータマ=ブッダが禁じた「存在」や「実体」といった哲学的な問題なども扱っていくようになり、そうした仏教教理は煩雑なものとなりました。そうした部派教団が多くの支持を集めるようになり、部派教団の修行者は安定した生活を送り、そうした仏教教理を知る修行者だけが救われるというような利己的で腐敗した態度が現れるようになります。しかし、それではまるで修行者以外が救われないという小さな乗り物であるとして、そのあり方を「小乗しょうじょう」であると批判して現れたのが、大乗仏教だいじょうぶっきょうです。これは紀元前1世紀あたりの頃とされています。

大乗仏教

 大乗仏教は、それまでの部派仏教を踏襲しつつも、部派仏教を換骨奪胎して新たな教えを見出していきます。その際には、自分より他人を救うといった利他的な態度で、全ての人々を救う大きな乗り物であるというスローガン(上求菩提じょうぐぼだい下化衆生げけしゅじょうと言います)があることから、今までとは明らかに違う要素が自然と生まれていきます。
 例えば、部派仏教までの時代においては、一人の仏(ゴータマ=ブッダ)だけでした。しかし大乗仏教においては、数え切れないほど多くの理想的な人格者である超人的な仏たちが、パラレルワールドのように過去・現在・未来(=三世さんぜ)といったそれぞれの時間の中で、四方八方+上下(=十方じっぽう)といった空間的な広がりをもった世界の中で同時に存在しているとします。そして、こうした仏たちに従いながら悟りを求めつつも、世間に生きる人々を救っていく理想的な修行者である菩薩ぼさつたちも存在するという、三世十方さんぜじっぽう諸仏諸菩薩しょぶつしょぼさつの世界観を作り上げました。この世界観の中であれば、さまざまな仏や菩薩たちがいることによって、すべての人を救うことが可能になります。そして大乗仏教の修行者は、皆そうした仏になること(成仏じょうぶつ)を目指し、成仏するまでの間を菩薩ぼさつとして活動していくのが基本となりました。
 そして、こうした超人的な仏たちの説明は、経典きょうてん毎に異なるため、やがて3種類に区別されるようになりました。具体的には、真理そのものであるとしたり、長い年月による修行の報いとして寿命が量り知れないほど持つことで永遠に救いをもたらしてくれる超人的な存在であるとしたり、歴史的に存在する生身の人間であるとしたりといった3種類(それぞれ法身ほっしん報身ほうじん応身おうじんと言います)に分けられるようになります。
  そして一人の仏につき、一つの浄土じょうど仏国土ぶっこくど)という理想的な世界を持つことが説かれました。例えば、無量の寿命をもつぶつという仏は、現在、西方さいほう極楽ごくらくと呼ばれる浄土を持っているとされています。温泉などに浸かって「ごくらくごくらく~」と言うような定番のセリフは、元はここから来ています。極楽浄土では、身体の苦しみもなく、心の苦しみもないような安楽な状態で、どんな人でも修行をして仏になるまで退かずにいられる不退転ふたいてんの境地に到達できるようになると説かれています。つまり、修行していれば将来仏になることが確約されるのです。そして、そこには金・銀・瑠璃るり・水晶・赤真珠・瑪瑙めのう琥珀こはくからできている諸々の蓮池などがあり、その四方にある4つの階段は金・銀・瑠璃・水晶の宝石からできており、きらびやかで美しいこと。そこでは天の諸々の楽器が常に演奏され、阿弥陀仏が仏教的な超能力である神通力じんつうりきによって白鳥・孔雀などの姿に変身して、人々を教え導いているといったことが描写されます(これは『無量寿経むりょうじゅきょう』や『阿弥陀経あみだきょう』という経典きょうてんに書かれています)。このように極楽浄土は、阿弥陀仏が教え導く一つの仏教的な理想郷のように描かれています。こうして多くの浄土によって、多くの仏が世間に生きる多くの人々に救いをもたらします。また同様に、現実世界を浄土に変えていくといった思想も生まれました。

 こうした思想などに特徴づけられるものが大乗仏教です。しかしそれぞれの大乗仏教の教えを説いた大乗経典だいじょうきょうてんは、時代も場所も別々に成立したため、時に矛盾する内容も持っています。現在の文献学的には明らかに間違っていますが、当時の人々は当然インドから伝わってきた仏教経典はすべて正しくゴータマ=ブッダが一生の間に説いたものであると考えたため、その矛盾を解消するために中国では教相判釈きょうそうはんじゃくという辻褄合わせがなされることにもなりました。ただし、こうした矛盾を調和させる教相判釈は、独自の教学体系を生み出すことに繋がりました。例えば、天台宗てんだいしゅう華厳宗けごんしゅうなどの独自の宗派の発展などです。これらは中国から日本にも伝わり、特に天台宗は、日本独自の仏教を生み出す礎となったといっても過言ではありません。

 そして実は、部派仏教のいずれかの部派から大乗仏教が生まれたとは単に言えず、この大乗仏教の起源は、未だに謎に包まれています。なぜなら、インド全般において歴史書などが残されていないこと。また大乗経典だいじょうきょうてんは存在しているのに、それに従って実際に生活した大乗教団の痕跡が、かなり後の時代にしか石碑などから見られないなどの理由からです。こうした事実から、大乗経典が先に創作されて、その影響が時代を下って碑文・寺院建築・仏教美術に現れて、そこから大乗教団の実体が生まれたと考える学説があります。このように文献学的にも、歴史的にも、客観的に見て大乗仏教は開祖であるゴータマ=ブッダの直接の教えではないことが言えます。
 そして大乗教団が現れた頃には、有名な大乗仏教の思想であるくう思想や、唯識ゆいしき思想といったものを中心にした学派などが成立していきます。しかし、それらは非常に精密な哲学理論となってしまい、民衆の心は離れていってしまいました。そこで、民衆の要求に応える現世利益げんぜりやくとしての密教みっきょうが成立していきました。

密教

 密教みっきょうとは、秘密仏教の略称です。呪術的な儀礼を通じて、仏と自己を内面的統合を目指すような神秘主義的な教えのことです。
 密教は、それまでの大乗仏教の思想・世界観を下敷きにしているので、大乗仏教で生まれた有名な仏や菩薩ぼさつなども多く登場します。さらには、仏教を信仰しないものを威嚇して守らせるといった護法尊ごほうそん明王みょうおう)などといった様々な密教独自の存在も生まれました。
 大乗仏教では、あらゆる人々を救うような仏になること(成仏じょうぶつ)は、実質不可能でした。しかし密教では、呪術的な儀礼的な実践、つまり密教の秘密の教えによって仏と一体化することで、それが現世で仏になること(成仏じょうぶつ)が可能であることを説いています。具体的には、手などで仏を象徴する形を作って、仏の聖なる呪文を唱え、仏の姿をマンダラ(曼荼羅まんだら)によって瞑想することで仏の一体化して現世で成仏じょうぶつすることを目指します(それぞれ(身密しんみつ口密くみつ意密いみつと言います)。
 密教は、上のようにそれまではなかった儀礼の実践体系を持っているため、それまでの大乗仏教とも大きく区別されます。ですが、上のように大乗仏教の思想や世界観の要素も引き継いでいます。そのため大乗仏教の中に密教があるとも考えられますが、その大きな違いから、大乗仏教とは別とも考えられます。それもあって密教自身は、自らを秘密の教えである「密教」と呼び、それまでの大乗仏教などの教えは秘密にされずあきらかにされていた教えとして「顕教けんぎょう」と呼ぶようになりました。

 しかし、こうした密教はインドの民間信仰を取り入れていったものでもありました。そのため、その頃には既にインドの主流となっていたヒンドゥー教とも本質的な違いがあまりなくなってしまい、だんだんと吸収されていきます。そして最終的には、イスラム勢力の徹底的な寺院破壊が決定打となり、13世紀初頭にインド仏教は滅亡してしまいました


次回は、仏教の地理的広がりについて書きたいと思います。
以下の記事が続きです。


参考文献

以上の内容は、主に、大学の授業で学んだ知識をまとめ直したものです。正確さと分かりやすさを心がけて書いたつもりでしたが、分かりづらい点やおかしな点があったらコメントなどでお教えください。以下は、授業ではあまり詳しくなかった部分の補足などに参考にしました。

  • 佐々木教悟他『仏教史概説 インド篇』平楽寺書店(1966年)

  • 高崎直道『仏教入門』東京大学出版会(1983年)

  • 下田正弘「経典を創出する―大乗世界の出現」(桂紹隆・斎藤明・下田正弘・末木文美士編集『シリーズ大乗仏教第1巻 大乗仏教の誕生』)春秋社(2011年)(大乗仏教の起源についての学説です。更に詳しく知りたい人は、同じく下田先生の『仏教とエクリチュール』に包括的に書かれています。)

  • 水野弘元監修・ウ=ウェープッラ・戸田忠訳註『アビダンマッタサンガハ(新装版)』中山書房仏書林(2013年)

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