マメクロゴウチの美術館ジャケット
マメクロゴウチのことは知っていた。
曲線の使い方が綺麗でニットがとても美しくて、でも私が着て似合うタイプの服ではなかったからUNIQLOがコラボしたときのインナーとニットトップスしか持っていなかった。
もっと言うと、マメを買わなくてもそれ以外に仕事に着ていく服はRick owensやAnn Demeulemeesterがあったし、私の気分にもそちらのほうが合っていた。
ギャルソンやノワールケイニノミヤを、見るのは好きだけど着るのはな、と距離を置く感覚と似ている。
実際、この二つのブランドのショーピースはボリュームがありすぎて着られないものが多い。
美術館ジャケットのことも知っていた。
シンプルで襟の曲線が特徴的、美術館の制服としてデザインされただけあって、展示品を押し退けるような主張はないのに唯一無二の静かな存在感がある。
制服なのだから、そこにこの「館」の案内をする人がいると分からなくてはならない。
その点、このジャケットは華美とはならないものの、確かにそこにいると分かる服だ。
美しい品だと思いつつ、普段スーツやセットアップを必要としない私はその形を記憶の隅にとどめるだけだった。
ところがどっこい、降ってわいたようにセットアップを着なければならない行事が入ってしまった。
会社の総会である。
毎年あるわけではない上に、地方支社に勤める役職無し社員まで出席が必要とは知らなかった。
ドレスコードが厳密ではないからきちんと見えるセットアップなら何を着てもいい、と言われたものの、普段から着ないのだから一着しか持っていない。
慌てて手持ちのスーツを着てみたら、見事に古臭いシルエットになっていた。
それもそのはずだ。
スーツを用立てたのは、今の会社に入社するときだったのだから。
さて困ったぞ。
総会は初夏、例年二〇℃近い陽気であり、暑さに耐えうる生地を考えなくてはならない。
ウールギャバ、麻、綿麻で、背抜き、できれば手入れが楽なものがいい。
当然だが、入社時のスーツ以外に持っているブラックコムデギャルソンの
レオパード柄スーツなど着ては行けない。
そう思案していたとき、以前買い物をしたセレクトショップから春夏物の納期のお知らせがあった。
私がよく着るRick等のほかに、Mame kurogouchiの文字もある。
マメクロゴウチ。
そうだ、確かこのブランドにもシンプルなジャケットとセットアップできるパンツがあった。
ここにきてようやく、脳の端っこに引っかかっていた美術館ジャケットのことを思い出したのだ。
今季のラインナップにも当然掲載されていた。
しかし、どうやら今までと少し様子が違っている。
まずポケットだ。
ジャケットにはフラップ付きのポケットがあるはずが、身頃の脇のスリットポケットに変わっている。
写真で見たときに以前より洗練されて見えたのは、そのせいだろう。
次に、素材である。
商品名に、「リネンタッチ」の文字が加わっている。
読んで字のごとく、「リネンのような手触りの生地」ということだ。
リネン等のざらついた生地は、肌に接する面積が少ないおかげで暑さを感じにくい。
これは、ひょっとして、ひょっとするのではないか。
腰がフワッフワ浮いているレベルで軽い私は、見つけた翌日試着に向かった。
で、買った。
いや、思ったよりよくて……
確かにニットやブラウスやワンピースは似合わなかった。
しかし、ジャケットは身頃がほぼ直線ですっきりとしたシルエットであることに加えて、カラーがない(曲線のノーカラーに見える)ので私のただでさえ細長い首が強調される。
全体的にたくましい体つきのくせに、首と名のつく部分だけは細いのだから服の選び甲斐がある。
そしてその曲線の襟が、釦を閉じたときに肌とのコントラストによって柄の役割を果たしてくれるのだ。
セットアップできるリネンタッチトラウザーズも、当たり前だが量販店のスーツよりずっと見栄えがいい。
難点を挙げるとすればウエストで選ぶとトラウザーズの丈がやや短いことくらいだろうか。
あとになってよそのショップのECを調べてみたらサイズ4から売り切れていたので、丈で選んでいる人がそこそこいるのかもしれない。
私が訪ねたショップではもともとサイズ1と2しかセレクトしていなかったため、私が買ったのは2だ。
ネット上を検索してみると、すでに愛用者がいろいろなコーディネートを披露してくれている。
私はおそらくプリーツプリーズのスカートやパンツに合わせて着ることが多いだろうなと思っている。
気温が二〇℃を超えると、厚いデニムを嫌がってウールギャバや涼しいプリーツのパンツを穿き始めるからだ。
ためしに一人ファッションショーで美術館ジャケットと一緒に着てみたら、思った通りのマリアージュ。
そういえば、手持ちのプリーツプリーズは総会には着て行けないけれど、セットアップだ。
決まった組み合わせをずっと着続けるのも私という存在感を印象付けることができるのでやぶさかではないのだが、コーディネートのバリエーションが増えるのは嬉しい。
靴はアンのレースアップのレザーシューズでもラムレザーのハイヒールブーツでも合わせられるし、暑い時期にはHermèsのジプシーと組み合わせても違和感はない。
スニーカーと合わせるならデニムだから、そろそろ着始めなければ。
もう着られないスーツは資源ごみの日に出すことにして、私はクローゼットの一番広々としたところに、新たなジャケットとトラウザーズを吊るした。
いつも必要に迫られて量販店で適当にスーツを買っていた私が、初めてきちんと選んで買った「晴れ着」だ。
目立ちはしないが、「そこにある」と分かる服だった。
きっとこれを着た私は、目立ちはしないけれど「そこにいる」とわかる女になるのだろう。
少し、背筋を伸ばした。
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