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盛夏

実家の犬が亡くなっちゃってから心がちょっと、本当にちょっと無くなっちゃったかもしれない。穴というか、そこだけスカスカの部分がちょっとだけある感じ。水風船に針で穴を開けたら、上から水を入れ続けても少しずつ穴から溢れていくんだっけ、この例えが正しい気がして言おうとしたけど水風船に穴開けたことなんかないからわかんないな

こういった時特に夏は冷酷で、こんなに暑い、もはや熱いのに「冷」と言う漢字を使うことにムカつきはしますが
私に関係なく、犬が死んだことに関係なく、淡々と夏をやろうとしていて、夏が。夏に死ぬ人はなんたら〜みたいなのあるけど

学校で働いている母が夏休みに入ってすぐ犬はあまり動けなくなって、ご飯を食べなくなった。急にもうダメかもしれない、と母から連絡が来て、信じられなかった。期末テストが終わったらすぐ帰るつもりで夜行バスを予約したけど、そこまでは持たないだろうとなって、テスト中の土日に新幹線で帰ることにして、明日帰るから、と伝えた日の夜中に逝ってしまった。彼は待ってくれるって本当無条件に思っちゃってた。
我慢ばっかりさせてたんじゃないかとか意地悪たくさんしてしまったっていっぱい考える
わたしは幸せだったけど、幸せって思ってくれてたのかなとか
わかってたけど、こんなに限られてるって思わなかったし、なんか私が死ぬまでずっと生きてるって勝手に思ってた
最後にビデオ通話で母が顔を見せてくれたのが最後だった。火葬場で初めて母が子供みたいに泣くのを見た。母をハグしたら小さくてびっくりした。犬が死んだ日は地元のお祭りの日で、家の前でまさにお祭りをやっていて、台風やらコロナやらで毎年中止になっていたお祭りが3年ぶりに開催できたということですごい騒ぎだった。その中を犬の、人間のと同じくらい大きい骨壷を抱えて歩いた。

それからなんかほんとうにちょっとしたことで死ぬような気持ちになっちゃって、昨日もバイトを休んじゃった。よく寝れなかったのと怖い夢を見て何度も起きたのと、なんか気持ちがダメになってたのを、体調が悪いと伝えて。休んだら休んだで私は本当にダメな奴なんだみたいな感じになって、こうやって私は自分を惨めに惨めにして勝手にしんどくなってなんか安心してんじゃないか、そうやって自分を責めてなんかいい気になってんじゃないか と思って最悪だーーーほんとに 

いつまでもこんなんじゃいけない。いつまでも泣いてちゃいけないとかは思わない、亡くなった犬は私が泣いていたら近寄ってくる世界一やさしい奴だった
でもいつまでも泣いてちゃいけない、少なくともそういう時があり、それが今なんだと思う

夏に思い出すことは増えている。いいことも沢山。
クーラーの風でひんやりした毛並み、乾いて窪んだ目と鼻。もう生きていないとわかる匂い。そういうのも絶対に思い出す。

前みたいに夏が好きとは言えないかもしれない
素直にいたい
ずっと思い出したい

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