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孤高の最期のお話

第52話

今年はキンモクセイが2度咲いた。

私の住む神奈川県では8月中旬から9月にかけて秋雨前線が停滞し、季節外れの低温にあてられたキンモクセイは9月11日にはその穏やかな香を鼻腔に届けた。そして1ヶ月ほど経った今、早とちりを恥じるようにまたも健気に咲いている。

9月28日、親父が旅立った。77歳だった。

ここで悲しい話題というのは書くべきかどうか、しばしためらったが、これほどまでに心が揺り動いた話題を書かずして何を書こうものか。そう思って今、iPhoneの文字列をこねくり回してる。

直接の死因は伺っていないが、肺ガンによって徐々に肺に水が溜まってしまい、呼吸不全を起こしたのだと思う。
若い頃にバイク転倒による脚の複雑骨折や胃の切除。70代に入ってからは脳出血、狭心症からのバイパス手術。そして1年前の肺ガン宣告。怪我や病気の絶えない人生だった。

親父は不遇の人物である。
以前「奇跡の数珠つなぎのお話」でも触れたが、親父は幼少期に両親が離婚。その後親戚中をたらい回しにされた。戦後の混沌期に日本各地を転々とさせられ、両親に甘えることもできず、あまつさえ厄介者扱いを受けて育った。

「孤高」という表現の似合う男だった。集中力が異様に高く、例えば製図や工作、絵画といった芸術的なセンスが突出しており、いずれそのスキルは機械部品の工場に従事した親父を工場長の地位にまでのし上げることになる。しかしその名誉も、誰からも愛されずに独りの時間が長かった結果だと思うと泣けてくる。

しかし退職後もその才能は錆びることなく、実家を訪れるといつも私の息子のために完成度の高いマリオの絵を書いていたり、鬼滅の刃の登場人物の折り紙を折ってくれていたりした。

出不精な親父だった。だから余年は自宅で好きなテレビを観て、製図や工作をして、自由なことに時間を充てられて、本当に幸せだったろうと思う。
「昨日あたしのお尻をちょんと触ってニヤニヤしてんのよ、全く」「お父さん、最近はよく笑うのよ」亡くなる半年前あたりに、母親がよく口にしていた。これがもし、投薬や放射線、抗がん剤による治療を行なっていたらこうはいかなかったかもしれない。

1秒でも長く、自宅での夫婦の時間を。

親父と母親、二人による決断だ。いい選択をしたなあと思う。

このように仲睦まじい二人にも見えるが、私がまだ高校生だった頃、母親からよく「お前が自立したら私たちは離婚するからね」と聞かされていた。
それほどまでに夫婦関係が冷え切っていた時期もあったし、実際にそうなるだろうなと当時の私も思っていた。

だが当初、母親が親父を結婚相手に選んだ理由は「この人に愛情を与えていきたい」と思ったからだそうだ。貧しいながらも両親に愛されて育った母親としては、不遇の親父をどうしても助けてあげたかったのだろう。

だから一時は冷えたことはあれど、結局は羽毛布団のような大きな愛で最期まで親父を包み続けた。
愛を与えてもらえなかった男が、愛に包まれることで、徐々に人間の心を取り戻していったように思う。

それを感じたエピソードがある。親父は私に対して「怒り」の愛情表現を一度たりとも出すことが無かった。中学2年の頃、スーパーでガムを万引きして捕まった息子に対しても「反省したんだろ?」と問うだけで一切咎めることがなかった。

今になって思う。子供に対して強く指導しようが、しなかろうが、その裏に愛情が見えていれば指導方法なんてどちらでもいいんだ。言葉じゃないってことを親父はよく分かっていたんだと思う。

そんな親父にできることと言えば大好きな孫の顔を見せることだと思っていた私は、2週間に一度は必ず実家に訪れていた。だが9月26日。この日はもはやただただうなだれるのみで、顔を上げ、孫の顔を見ることもできなくなっていた。健気に遊び回る息子、苦しむ親父。心がどうにかなってしまいそうだった。
帰宅の際、親父はもはや母親や息子の問いかけに対して答えることもできなくなっていた為、もしかして私の妻だったら反応してくれるのでは?と思い、妻に「親父にバイバイ言って」というと、妻は「辛そうだから無理はさせずに静かに帰ろうよ」と私をほだした。その通りだと思ったが、どうしてももう一度あの穏やかな親父の笑顔が見たかった私は、涙腺を緩ませながら無理を言って妻にお願いをした。承知した妻が親父に向かって別れを告げると、鉛のように重い首を捻り上げ、ニッコリといつもの笑顔を見せる親父の姿があった。2日後、親父は息を引き取った。


火葬の前日は姉貴や私も実家に泊まり、十数年ぶりに5人家族、最後の時を過ごした。そして朝5時30分頃、意外な現象が起きた。親父が安置されている部屋のTVが勝手に付いたのだ。驚いた私たちは親父の部屋に駆け付けたが、親父は死んでるし、TVはクソの役にも立たない通販グッズを紹介している。

テレビ大好きっ子の親父らしい最期である。こんなにも怖くない霊現象ってあるもんだな。と私たちは笑った。どうしても最期に観たかったんだろうね。

意識がまだ判然としているときに、先走ったキンモクセイの香に包まれて、親父は心地良かっただろうな。いい香りだもんね。
親父。親父が亡くなった後、すぐにまたあの香りが訪れたよ。

親父との時間も、また近いうちに。
輪廻を信じて。


さて、今日のお茶は 茶屋すずわの「おやすみのお茶」。おやすみはしばしの別れ。明日もまた、いつものお茶に会えるから。

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