見出し画像

奇跡の数珠つなぎのお話

第42話

雷に竜巻と豪雨。春の嵐が吹いている。よし、今日から筋トレやろうってんで、急に体を動かすと筋肉痛に襲われるように、物事が次に移行するには痛みが伴う。それは気象も同じなんだなあと思う。

さて、思えば東日本大震災から10年の月日が経った。未曾有の天災に家族や知人を失った方もいらっしゃると思う。今日はそんな方の心に、少しでも響いてくれたら嬉しいなあという話題だ。

私は盆や彼岸といった慣例に際して、一応は形式に則ってキュウリやナスに割り箸を挿してみたり先祖の墓参りに行ってみたりするのだが、スピリチュアル的な部分についてはどうにも懐疑的な節があり「ホントにこのキュウリに乗って先祖は我が家に来るのだろうか」とか「ホントにこの墓に先祖の御霊が宿っているのだろうか」などと、割りかし罰当たりなスタンスを取っていた。

しかしそんな私が「先祖の御霊は存在するし、なんならたまに実力行使もする」と確信したお話である。

それは私が30代前半、まだまだ生粋のパリピだった頃(パリピって何?)、神奈川から抜け出し、九州は佐賀県でとある医療機器の販売営業の仕事をしていた。

テナント施設を構え、来てくれたお客さん(ご年配の方が大半)に実際に医療機器を体感してもらい、効果を感じた方に販売するという仕事(この話は面白いので後日詳細を書きたい)なのだが、そもそも商品が高額である為、毎日足繁く通って納得してくれたお客さんにしか売れることはない。

なので特定数のお客さんと毎日顔を合わすものだから、その関係性は必然的に密になり、お客さんと私は互いに下の名前で呼び合ったり、時にはお客さんの家の夕食にお呼ばれしたり、休日は一緒に釣りに出掛けたり、今でも当時のお客さんから電話が掛かってきたりする。

そんな優しいお客さん達の中に、ある60代前半くらいの「さっちゃん」という方がいた。
さっちゃんはテナントに毎日来てくれている女性客。物静かだが温厚で、服のセンスも整っている、お洒落な貴婦人といった雰囲気だ。中でも私は、さっちゃんがいつも腕にしている数珠がどうにも気になって仕方がなかった。
その数珠の石のサイズは大きくも小さくもない通常サイズ。透明性のあるダークブラウンを基調とした石と、所々にダークグリーングリーンの石が散りばめられた物だったと記憶している。
なんと表現したらいいのか、心が吸い込まれるような深みのある美しい数珠。さっちゃんと話している時、気付いたら自分の目線が数珠に持っていかれてるということも多々あった。
さっちゃんがテナントに来るようになって2ヶ月ほど経った頃、私は思い立ってこの数珠はどこで購入したのかを尋ねた。すると福岡県にある「南蔵院」という寺であることが分かった。

「じゃあもうあたし、この数珠好き過ぎるし、買ったろ」ってな軽いノリで、ドライブがてら休日に妻を連れて佐賀県のお隣、福岡県は糟屋郡という所にある南蔵院まで出掛けることにした。
南蔵院といえば、全長41mもあるブロンズ製では世界一の大きさを誇る涅槃像で有名な寺だ。

運転中、ふと福岡県という土地が私の親父の出自に深く関わっていたような記憶が蘇った。どうしてこんな回りくどい言い方かというと、親父は幼い頃に両親が離婚。その後は親戚をたらい回しにされた。戦後の混沌期に日本各地を転々とさせられ、両親に甘えることができなかった不遇の人物である。

なので、親父との会話の中で福岡というキーワードはたびたび登場していたが、そこが親父とどうゆかりがあったのかが分からない為、実家に電話して確認することにした。

電話口に出た母親によると「あら、和之。あんた南蔵院行くの?そこ、お父さんのお母さんが眠っている所よ」と返ってきた。どうやら離婚した親父の母親が、後の再婚相手とともに納骨されている寺だったのだ。

割と本気でたまげた。こんなことってあるもんだと、数珠購入の楽しみに加え、意図せずして墓参りができる喜びに、益々胸が高まった。

そして南蔵院に到着。妻とともに広大な敷地にある本堂や涅槃像、大不動明王や七福神トンネルなどを散策し、ではそろそろお婆ちゃんに会おうと、巫女さんに所在を確認すると、月華殿納骨堂という地区に納骨されていることが分かった。

到着。納骨堂の中から、巫女さんに教えられた場所に立ち、30センチ四方ほどの小さな扉を開け、私は生まれて初めてお婆ちゃんに会うことができた。

参拝を終えて妻と二人、晴れやかな気分で歩き始めた目と鼻の先に、仲見世通りと呼ばれる売店があった。
ここはお供え物や寺のオフィシャルグッズなどが販売される場所で、そういえば数珠はあるのかと思い、探した所、あった。すぐあった。

お婆ちゃんから直線距離で15mも離れていない場所に、数珠はあった。

ブワワアァッと鳥肌が立つ感覚に見舞われた。親父のお母さんも、会えなくなった息子のことをしっかり思っていたんだな。
だからこそ、近くに来ている息子の軌跡に、どうしても会いたかったんだ。それを伝える手段として数珠を使ったんだろう。

商品の数珠を手に持ち、目尻にうっすら溜まった水滴を腕で拭い、今一度納骨堂に向かって小さくお辞儀をした。

あんなに購買意欲を掻き立てられた数珠であったが、なぜかこの時にはもうそれほど欲しくなくなっていて「ホントにいいの?」と尋ねる妻に「もう大丈夫」とだけ伝え、結局買わずに帰路に着いた。

先祖の御霊は、いつも家族の安寧を見つめている。それはいつ、どんな経緯で具体化するかは分からないし、実はすでに影響を及ぼしているが、我々がそれに気付いていないだけなのかもしれない。

大切な存在を亡くした人よ。故人はきっと、大丈夫だよ。ホントに。笑顔でいて欲しいと思ってるよ。言葉が軽くて申し訳ないが、重くしたら嘘くさいし、何よりシンプルに、私はそう思うんだ。


さて、今日のお茶は 茶屋すずわのRICE&TEAという玄米茶。高温で淹れたRICE&TEAは香り高くてそりゃあ当然うまい。
しかし冷めてもまた美味いんだよな。お茶とお米は、大地を通じた血縁関係みたいなもの。喧嘩して一時は冷え切ったって、家族は家族なんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?