見出し画像

ほくほくのナムナム

こんばんは、那須野です。
心地の良い日が続く滋賀です、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、自坊は一年前から、本堂の傾きを直す作業が行われてきました。
それに伴い、阿弥陀様がご安置されている宮殿(くうでん)の修繕も行われました。
主人の居ない本堂は、この一年は本当にただの箱でありました。
正にガラン堂です。
それにしましても、床板が取り除かれたらそこは300年前の匠の技がきちんと仕事をしてくださっていた訳で、曲がりくねった床の梁(と言うのでしょうか、この場合)は、現在の真っ直ぐに加工されたものとは異なり、その樹の持つ性質を上手く生かした並びになっておりました。


私が住まう弘誓寺は、大寺でして、畳の数108畳。
本日はその畳を入れる作業でした。
お同行とご一緒に、お荘厳させていただいている気持ちに浸りながら。

この度その作業も終わり、元の通りに納める工程に入りました。
お宮殿は人力では持ち上がらず、柱に鎖をかけてジャッキで持ち上げます。
それでも職人さん10人近くで半日がかりです。
(写真の周りにもスタンバイしておられました)
はて、300年前の方々は、一体どうやって作業されたのでしょう。
材木一つもかなり大きなものです、現在の日本では手に入らないとか。
湖北から琵琶湖を使って流し届いたと聞いています。

唐戸の落とし鍵には、当時の方のお名前が刻まれておりました。
方々には、300年後の同行の様子はどのように想像されたでしょうか。
お浄土に往ったら聞いてみたいものです。


話は少し遡り。
先週末に、福井の友人の住職継職法要に参らせていただきました。
これがとっても素晴らしい法要で、そこに居らせてもらえたことが本当に嬉しかったのです。
私とブログメンバー岩田、隂山は余間での出勤でした。
そこから見える、外陣の御門徒の方々のお顔、親族のお顔、内陣の法中方々のお顔、そして友人である新住職のお顔。
皆様のお顔を拝見しておりますと、非常に温かで、みんなが同じ方向を向いていて、彼女のことを大切に育てていこうという気持ちが伝わってきて、気を抜くと目から汁が垂れそうに。
どうにかこうにか堪えて、控室に戻ると、岩田も同じ状況だったとか。
ちょっとひん曲がった私たち、
「そこらの披露宴よりよっぽど感動したな」
と。(岩田さん、ひん曲がり道連れにしてすみません🙇)

しかし今思い出しても、法要中にあちこちから自然に発せられるお念仏の、なんと温かかったことか。

しばらく余韻の残る一日となり、きっと私はこの日の感動を忘れることはないように思います。


そんなことで、私のところへ届いている阿弥陀さんのおみのりは、見当もつかない多くの方々のご苦労あってのことやったんやな、その古の方々も、同じように喜ばれてたんやな、と思うと、阿弥陀さんを拝見しても、初めてうちの本堂に足を踏み入れた時とは随分違う心持ちであることに気付くのでありました。

綺麗になったお宮殿は、周りの手付かずのお内陣の中で、異様に光って見えました。
しかし主人阿弥陀さんがそこに戻ってくると、不思議と一体となってしっくりくるのです。
(これは漆職人さんが調和を考えて、相当ご苦労されたのだと後で聞きました)

2023年のこの私のところまで、宗祖親鸞聖人の教えを脈々と繋いでくださった先人たち。
福井の本堂で味わった喜びを、時を超えて共に味わう豊かさ。
その喜び、おみのりは、一心に阿弥陀さんのお慈悲でありました。


今回は週誌みたいなブログになってしましましたが、それもまた乙ということで。

称名

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?