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「321」

おはようございます。
今週は…(初の投稿遅れの…)隂山です。

少し前の話ですが、3月21日のお彼岸に初めてお取り次ぎに呼んで頂きました。

だいぶ緊張していましたので、たどたどしかったと思いますが、御門徒様がたは笑顔でふんふん。と聞いてくださり、すごく話しやすかった。

間の休憩時間に、ある御門徒さんが控室に入ってきてくださいました。
その方は、私の自坊がある村から、結婚してそのお寺の横に引っ越しをされた方で、
「いやー嬉しいわー。永照寺さんのご住職が来てくれるなんて。ほんま嬉しい!」と言って、部屋を出ていかれました。

すると、坊守さんが
「さっき、あれ、うちの実家の住職やねん!って皆に自慢してはりましたよ笑」と。

色んな方が私の緊張をほぐしてくださいました。

ご住職と話をしていると、
「うちは先代の住職の時から、若い方に経験積んでもらいたい。という思いがあって、昔から色んな方に来て頂いてるんです。」
とおっしゃられていて。

「あー、この話しやすい空気はそういうことか。」と感じました。

先代のご住職の思いから、私のように初めてお取り次ぎさせて頂くような者でも、温かく迎えてくださる土壌が作り上げられてきたんやなと。

その法話の初めに、このブログの初めての投稿の時にも載せた、遠藤先生のお言葉を紹介させて頂きました。

遠藤先生は「学生の皆さんがおるから、私はお聖教を学ぶことが出来る」と、いつもおっしゃっておられたそうです。

聞く者がいるから話すことができる。
皆さんがいて私も学ぶことができて、阿弥陀さんのお御法を聴かせて頂くことができる。

本来、私は仏法を聴こうとも思わない者です。
自分勝手に、自分に都合のいいように生きていこうとします。
それが、阿弥陀さんのお手回しと様々なご縁によって今聴くことが出来ている。
有難い場やなと改めて感じるご縁でした。

その帰り道、電車に乗る直前にふとベンチを見ると鞄がポンっと置かれていました。
「あれ?忘れ物?」
周りを見ても持ち主らしき人は見当たりません。
すぐに取りに戻って来るかも。と思いながらも、一応駅員さんに渡しに行きました。

そして、またホームに戻ると電車から急いで下りてきて、キョロキョロと何かを探している方が。
「絶対この人や!」と思い、
声を掛けてみると、持ち主の方でした。
すると、
「お礼をさせて欲しい!」と。
「いやいや、結構です。結構です。」
のやり取りが何度かあり、
「せめて、連絡先だけでも…」
「いえ、本当に結構ですので。鞄あって良かったですね。取りに行かれてください。」
と言うと、改札に向かわれました。

電車が来るのを待っていると、またその方が鞄を片手に戻ってこられました。
「あの、やっぱりお礼がしたいのでせめて連絡先だけでも!」
中々諦めてくださらないその方に、
おかしくなり笑いながら、
「本当に大丈夫です。私も物なくした時に誰かが届けてくださって本当に助かりました。私もして頂いたことをしてるだけなので。」
なんとか納得して頂いて、電車が来たのでお別れしました。

電車に乗っていると、ふと沸き起こってきます。
「もったいなかったかな…」
出てきましたね、我が。
「何もらえたやろ…何かいいことあったかも…連絡先ぐらい教えてても…もしかしたらお寺との繋がりになったかも…」
自分の都合のいいように考える。
鞄届けた私に対しても、自分でちょっといい人間やなと思ったりする。
それがほんまの私ですね。

そんな私が今お御法を聴かせて頂いていることを不思議に感じる1日でした。
そうやって様々なご縁によってお念仏喜び、お御法を聴く者にお育て頂いていくんでしょうね。

なんまんだぶ


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