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儀礼について考える。難し。

こんにちは。
今週は那須野です。

はて、今回は何を書こうかなーと思いながら、ブログメンバーの一人とLINEしていたところ、「儀礼」というお題をいただきました。

ぎれい【儀礼】①礼儀。式礼。典礼。②社会的慣例として一定の形式で行われる、集団内の、又は集団間の行為。ー(『新潮現代国語辞典』)

人は人生の節目節目に儀礼を行います。
少年式(愛媛だけとも聞いたことがあります)、成人式、結婚式、葬式。
またコミュニティの中で五穀豊穣を願ったりする神事なども儀礼でしょう。
あるいは少年式や成人式などはあまり宗教性を感じませんが、結婚式、葬式、祭事などは非常に宗教と強い関わりを持ちます。
私も人並みに経験してきました。
しかし、何を隠そう、私は子供の頃から儀礼や式典が大の苦手だったのです。
卒業式は嫌い、成人式は嫌い、自分の結婚式も執り行いたくないと思いながら、渋々行ったのです。
準備して下さった方々には今となっては申し訳ない気持ちですが、なんせ生まれたときから反抗期、一方的に「やりなさい」と言われることに悉く反抗してきたのです。
式典や儀式はその最もたるところでした。
なのでこのお題は些か、というか非常に難題です。


もう一つには、というかこちらが本当の理由ですが。
特に宗教的儀礼ということについて、真摯に向き合う人々の姿を目の当たりにして、自分にはその気持ちがない、気持ちが追いつかないのにその場に居るのは不誠実なことだ、と思っておりました。
いくつかの経験が私にそう思わせました。

私は在家の出身です。
お仏壇はおばあちゃんの家にしかありませんでした。
それも阿弥陀さんではありませんでした。
そんな私が初めて宗教的な儀礼に対峙したのは、隣に住むおばちゃんのお通夜の時でした。
おばちゃんはキリスト教徒で、病気で小さくなった身体を、十字架が刺繍された布で包まれていました。
当時の私が合掌して御念仏申した訳もなく、寂しい気持ちの中で、ただただ、おばちゃんはキリストさんを信仰してたんやな、ということを思いました。
(私の家は飲食を営んでおり、クリスマスは忘年会で忙しかったので、姉妹四人がお隣の家に行って静かにクリスマスを過ごしておりました。そういう日暮らしの中でも、子供ながらに何か感じ取っていたのだと思います)

大学に入り、インドネシアのバリ島、タイの地に強いつながりを持ちました。
どちらも観光地ではなく、施設や友人宅でそれぞれ数ヶ月過ごさせて頂きました。
そこでも宗教は信仰するもの、という単純なものではなく宗教は生活、文化そのものでした。
ヒンズー教を中心にした生活、仏教を中心にした生活。
儀礼は人々の生活の中で自然とあるものでした。
私はそこに強い憧れを感じていたのかもしれません。
(それぞれの宗教体験は非常に豊かなものでしたので、改めて書き留めたいと思います。)

日本に帰ると、側から見たら形だけの儀礼が執り行われているように見えたのです。
そしてそこに加わることが恥ずかしいことだと感じました。
まるで他人事です。

さて、そこから十数年が経ち、また私自身が少なからずお聴聞を重ね、先生方の話を聞き、ご門徒さんと話をし、お葬儀にも立ち合い、ご法事もお勤めし、と過ごす間に、知らん間に儀礼に対する考えが変わってきたように思います。

ありがたい事に、浄土真宗の儀礼ということに限定させていただくと、正信偈や阿弥陀経も、少しずつですが言葉を味わいながら向き合えるようになりました。
僧侶としては、阿弥陀様の儀礼を荘厳するつもりでお勤めさせていただいております。

何を信じていいか、自分がどこに向かうのかが分からないうちは、儀礼も空白でした。
要するに儀礼の中での自分の居場所がなかったのですね。
儀礼というものを客観的に見ていたように思います。
しかし今、阿弥陀さんのはたらきに気づかせていただいた(それすらも知らんうちに)私の上では、なんや要らんこと考えんでも、毎日阿弥陀さんの前で御念仏するということが当たり前になっていました。
儀礼はその延長にある自然な行い、という感じです。

その時間、その空間では、普段バラバラに生活している人たちが、少なくとも物理的には同じ方向を向いている訳ですよね。
それぞれの日常から一時離れて、一同に御念仏申す訳です。
非常に不思議な空間です。

引く脚も、称ふる口も、拝む手も
弥陀願力の不思議なりけり

なんや、阿弥陀さんのおはたらきやったんや。


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