「アイドル」ってなんだ(n回目)

0 はじめに

 雨ヶ崎笑虹さんが「卒業した私が、#えるすりー に挑戦する理由」と題したブログを全体公開した。 大きく分ければ、①パレプロから卒業した理由、②えるすりーのSRイベントに参加した理由が書かれているが、内容的に相互に関連する場合もあり少々整理がしにくいところもある(あと自分は個人的に一文を改行で区切られると読みにくい人間なので)。

 それも整理し吟味しつつ、純粋に「『アイドル』ってなんだ?」という、パレプロに触れて以来幾度となく口にしてきた疑問それ自体、厳密に言えば「アイドルの資格(アイドルでいられること)」と「アイドルであること」との相違を眺めてみたい。 それはきっと彼女が言いたかったこととも繋がってくると思われる。

1 「卒業理由」の記述の解釈


(1)「アイドルグループで続けていた方がスキルアップできるんじゃないか」
 彼女のブログでは「アイドルグループで続けていた方がスキルアップできるんじゃないか?」という実際の疑問に答える形で始まる。
 この疑問は、言い換えれば、「アイドルを続けるのであれば、卒業という選択肢以外にあったのではないか」という疑問である。したがって、これに完全に回答するためには、「卒業の必要性」と「卒業の相当性」を示さなければならない。

 これに対しては、「その通りです。スキルアップという一点で考えるとレッスンや、サポート体制からも明らか〔にアイドルグループで続けていた方がよかった〕です」と率直に認めた上で、「私がアイドルでいられる価値を技術的スキルの一点では考えていない〔考えられない〕」と述べる。
 この時点では実のところ真正面から疑問に回答はしていない。ここでは、要するに、「『アイドルでいられる価値』には技術的スキル以外もある」ことを述べているにとどまる。

(2)「その『何か』は、アイドルグループでの活動では得られないのか」
 その技術的スキル以外の要素を「〔技術的スキルに代わる〕何か」と表現するのだが、当然のこととして、その「何か」は、アイドルグループでの活動では得られないのかという疑問が生じる。
 それに対しての明確な回答はない。ただ「それに変わる何かを身につけようとした時に世の中が変わってしまいました」という記述がその手掛かりとなろう。
 その変化とは「どうにもならない事が起こり得る世の中になってしまったこと」である。やや大仰な気もするが、それが彼女の現実認識であり、それが彼女の選択の前提である(したがって、その現実認識自体を吟味対象とすることは可能である)。
 その現実認識の上で、「時間をかけられるのであれば」、技術的スキルも「何か」も同時に伸ばしていくことは可能であったが、「私にはできませんでした」と述べ、「やらざるを得ない状況に身を置くことで、どちらも早急に、伸ばしていく道」を選んだ、と述べる。
 その選択の背景事情として、世の中の変化とは別に「ただでさえ、変化の激しい業界」であることが述べられていることからして、ここで彼女が述べたいのは、要するに、「このままゆっくり成長していたら何が起こるかわからない世の中だから、個人勢になることを選択した」ということである。
 したがって、「何か」はグループ活動で得ることもできるが「早急に」得ることはできないということなのだろう。
 そしてこれが同時に「卒業の必要性」についての回答となっていることになる。

(3)「卒業の相当性」
 もっとも、「卒業の相当性」については回答していない。卒業と卒業以外の手段とを比較した場合に、目的との関係でいずれが効果が高いのか、という点が示されていない。
 そして、外部から見た場合、「早急に成長したかったら、自ら認めているように、レッスンもサポートも行き届いているグループの方がいいのではないか?」という疑問が生じるのは必至だろうと思われる。
 それに、技術的スキルアップに関しては明らかにグループの方がいいということを自認しているため、回答の望みは「何か」獲得の便益の方にかかっている。
 つまり、「グループに所属したまま技術的スキルアップと『何か』の獲得を目指すよりも、卒業した方がいい」と言えるくらいの、「何か」が有する「アイドルとしていられる価値」の重要性および個人勢として活動することで「何か」が得られる蓋然性の高さがあれば、「卒業の相当性」があるといえる。
 ただ、恐らくこれは、パレプロ期の彼女の様子を見ていて初めて薄っすらと理解できることではないかと思われる。

①「何か」とはなにか
 少し遠回りになるが、そもそも「何か」とは何か、ということを明確にしよう。
 ブログの後半においてAKB48Gの総選挙を挙げながら語られるが(だからこのブログはまだ整理しきれていない)、それは、「最低限のスキル」を前提として、「スキルより前に」ステージに立てる理由となっていると語られる、「人気だったり、ファンの方の熱量、その子の影響力、個性」である。
 そしてそういった「アイドルでいられる価値」の一端は「後天的」なものとされる。ここで「後天的」が意味することは、そのような価値、具体的には<アイドルとしてステージに立つことが許される価値>というものは「あなたが作ってくれる」ということである。ここで「あなた」とは一般的には「ファン」である。
 なお、生まれ育った環境から情報やスキルアップの機会を幼少期から得ることのできなかった彼女にとって、「非後天的=先天的」というのは、生まれつきのもの一般、身体的なもののみならず環境的なものも含むことは別のブログから推察できる。
 つまり、「アイドルとしていられる価値」の一端たる「何か」は、(「個性」は一先ず置いておいて)ファンとのあいだで獲得されるものであり、したがってそれは必ずしもグループ活動で十全に得られるものとは限らない、ということだ。

②「何か」と「卒業の相当性」
 恐らく、「卒業の相当性」はここに関わる。
 パレプロに加入してから、技術的スキルアップのための時間や配信その他の仕事に追われたからか、SHOWROOMでの配信は続けていたものの、真夜中に短時間であったし、やはり継続して配信しなければならないイベントへの参加も認められなかった。
 そもそもイベントへの挑戦や日々の配信でファンと交流を深めていた彼女にとって、そのような環境ではファンとの間に「何か」が形成されないと感じたとしてもおかしくない。そしてその「何か」は個人として活動する方が実りが大きいと感じてもおかしくない。
 そして、先のように、AKBに憧れた彼女にとって、その「何か」が、卒業を選択させるほどに、とても重要であったのではないか。
 そのような事情を、決してグループ活動の責めに帰することなく(そのような解釈を回避すべく)、つまりその責めを自身のものとして言語化しようとたら、グループの良さを認めつつ卒業の理由を主張するという、ちぐはぐなブログになるように思われる。

 もちろん、今はまだ慣れない環境だから「何か」の獲得にまで追いつかないだけであって、慣れたり技術的スキルが上がったら「何か」の獲得のための活動もできる余裕ができるようになるのではないか、という吟味の余地は残されている。
 しかし、業界のスピードが速いこと、世の中が変わったこと、という認識からすれば、そのような「待ち」をしている余裕がないということになるので、あまり的確でない吟味である(そのため、先述のように、その現実認識自体の吟味の方が適切である)。

2 「アイドルでいられること」というテーマ

(1)「アイドルでいられること」
 さて、「卒業理由」の解釈から見えてきたのは、卒業において重要だったのが「何か」であったこと、そしてそれは、技術的スキルと並ぶ「アイドルとしていられる価値」の一端であったということである。そして彼女にとって、「アイドルとしていられる価値」における「何か」の比重が高かったと思われる。それが、「夢・将来と向き合い直」した彼女が得た「アイドル像」だったのだろう。
 現実認識含め、彼女自身の認識について吟味することは、本稿の目的ではない。本稿はこの「アイドルでいられる価値」というものが気になったのである。
 それは別の部分で「アイドルとしての価値」とも表記されているように、それを有する者が「アイドル」として資格づけられる(qualified as)ような価値である。

(2)「アイドルであること」と「アイドルでいられること」
 そもそも我々は、「アイドル/非アイドル」をどのように区別しているのだろうか。
 恐らく、最も簡単な基準は、「アイドルグループに所属しているかどうか」である。しかしこれは「アイドルグループ/非アイドルグループ」の区別という問題を生じさせ、結局のところ何の解決にもならない。
 その解決の一つとしては、客観的に画定することはできず、主観的な問題に過ぎない、ということであろう。非常に短絡的に言ってしまえば、「自称しているかどうか」だということである。つまり「本人がアイドルだといえばアイドル」だし、「アイドルグループと自称しているところに所属していればアイドル」だということである。
 それはそれで簡便だし、恐らく現実ではそのような認識で動いていると思われる。ド素人の私から見ると、歌唱力・ダンス力・トーク力etc…とにかくひっくるめて「タレント」と呼べば、そのタレントが様々であっても「アイドル」という名で一まとまりにされているように思われる。「アイドル(グループ)」はそういうものだと感じる。
 ただ、それはあくまで「アイドルであること」であって、「アイドルでいられること」とは違うのではないか。彼女のブログを読んで私が考えたのは、まさにこの差異である。
 もちろん、彼女がそういうことを考えているのではないし、「お前はアイドルではない」と糾弾するつもりもない。
 ただ、この「アイドルであること/アイドルでいられること」の差異は面白いと私が勝手に思っているだけだ。

(3)「アイドルでいられること」と「アイドルであること」
 「アイドル/非アイドル」は客観的に画定することは難しく、かといって主観的に決まってしまうというのもなんだかなぁという感じである。
 その点、彼女は、「何か」というものの価値を重く見ているが、それはファンとの間で形成されるものであった。換言すれば、それは客観にも主観にも還元されない、強いて言えばそれは「間主観的」なものだ。
 そしてそのような間主観的な「何か」を要素とする「アイドル」というものは、「“アイドルである”からアイドルだ」というものではない。
 ファンとの間でアイドルとしての(ステージに立つ)資格を与えられている限りで、つまり「アイドルでいられる」限りで「アイドルである」ような、そんな存在なのだ。
 彼女がそんなことを考えていたとは思われないが、恐らく感覚的にそのような間主観的な「アイドル」像を持っているのではないか。
 そして、その「資格」は、ファンから一方的に与えることのできるものでもない。本人の意識もなければならない。それは「自信」と言い換えられるかもしれない。本人の自信とファンの意識、その双方があって初めて本人は「アイドルでいられる」し、それらがある限りで「アイドルである」。
 今回の卒業は彼女自身の意識において「アイドルとしていられる価値」がない、と判断したため「アイドルである」ことができず、「アイドルである」ことの表象である「アイドルグループ」からの卒業を決めたのだ、と解釈できる。そのためファンの側から何を言っても、それだけでは止められないものであった。
 そのまま所属していた場合に、えるすりーというステージに「立てたかもしれないけど、立つ資格があったのかは正直自信がありません」という彼女の言葉は、この解釈を如実に表している。

3 「アイドルでいられること」とSHOWROOMイベントへの参加

 このような解釈をもとに、SHOWROOMイベントへの参加についての記述を解釈する。
 先述のように、彼女にとってSHOWROOMのイベントそれ自体が「何か」を形成するものである。それは彼女に「アイドルとしての価値」を与えるものであって、「アイドルであること」を担保するものであったと解される。
 SHOWROOM以外のイベントには「かっぱ隊がいない」、「少人数での応援によってこのステージを勝ち取れたとしても意味がない」とはいうのは、彼女にとってその他の場所では「何か」を形成できないということであろう。
 SHOWROOMのイベントだからこそ、彼女は「アイドルでいられる」し、「アイドルであること」ができるのだ。
 私は、そう思う。


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