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パラメーターをキャスティングに振りすぎた実写版嘘喰い

※本記事は実写版嘘喰いのネタバレあり感想です。


嘘喰いとの出会いは十数年前。何気なく買ったヤングジャンプを読んで知った。主人公の貘さんがレンタルビデオ店を相手に嘘を暴いてAVを借りていた。
それから少し話が進み、廃ビル脱出編でこの漫画の虜になった。
以来、完結まで毎週欠かさずヤングジャンプを読んだ。

青春の思い出の一つだった嘘喰いの実写化。
「カリ梅」が「ハーモニカ」に代わりかけてたとか怪しい情報を耳にするが、どのような出来上がりでも嘘喰いは嘘喰い。もはや自分のような長年のファンにとっては、映画を観て感想を浮かべる事自体に価値がある。
公開初日。一気呵成に映画館へとなだれ込んだ。

そして……

そして…………

これは………………

なんだろう…………………?

ストーリー

実写版の範囲は単行本の1~5巻、貘さんと梶ちゃんの出会いからハングマン決着までを2時間ほどで収めている。
一応、最初から話を初めているので、原作未読でもわからないという訳ではないけど、独特なノリと世界観を消化しきれるかどうかはわからない。

当然ながら、その分量を丁寧にやってる暇などないので、随所に改変が加えられていた。
この改変についてだが、全般的な構成については結構上手くやっていたと思う。
まず、プロローグの貘さんとお屋形様の屋形越えは役者二人のビジュアルが相まってまさに原作通りの風格。そこから続く倶楽部賭郎の説明で奇妙な世界観をグッと引き寄せて来ていた。
梶ちゃんとの出会いから佐田国と蘭子との遭遇をスムーズに繋げたのも良い。佐田国の盲目の伏線含め、ラストに向けての仕込みをこの時点で無理なくやってのけたのは満足度が高かった。
そして、蘭子から情報を得て賭郎会員権をゲットする為のQ太郎戦を挟み、決戦のハングマンへ。

少なくともダイジェスト的にはならず、ハングマンに至るまでの流れを無難に再構成したと言えるのではないだろうか。

多少の粗はあれど、大詰めであるハングマンまでは楽しく見れた。
問題はそのハングマン……というか、ハングマンで熱が冷めたせいで、それまでスルーできてたアクが一気に浮き上がってきた。

まず、今作でのボスとなる佐田国は原作でのテロリスト設定から大幅に変えられ、マッドサイエンティストという肩書になった。
原作における佐田国がテロリストになった経緯や背景は特に語られない。だが、目的の為に犠牲を厭わず邁進する姿勢と「盲目さ」による気迫、そしてその裏に潜む小心者の性根は序盤の敵ながら魅力的なキャラクターだった。

映画版では自身の研究にまつわる陰謀により、部下や仲間を殺された悲劇的なキャラクターとして登場している。設定こそ真反対になれど、底知れなさを感じる俳優の演技によって、原作とはまた違う味わいがあり、かなりの良改変ではないか、と中盤までは思った。

しかし、肝心のハングマンでその期待感は急激にしぼんでいく。
ゲーム展開は細部を端折ってはいたが大筋は原作から変わっておらず、台詞もそのまま繰り出していた。そのため、佐田国のキャラにブレが生じ、貘さんと佐田国の対峙にカタルシスが薄まってしまった。
映画版の佐田国は追い詰められた人間だ。必死という点に関してはある意味原作以上かもしれない。その佐田国に「この大嘘つき」と言ったところで何もスッキリしない。
しかも何故か「パートナーも一緒に首を吊る」というルールも追加されているため、佐田国の部下か相棒みたいなオリキャラの女性も大した活躍もなく一緒に首を吊る事になったのも後味が悪い。

勝負の駆け引きも原作と微妙に変えているせいでアチャーとなった箇所がある。

佐田国のカメラでの覗き見回避に貘さんは「カードを裏返しにして見えなくする」という手を使ったが、これは原作で「そんな運任せじゃ負けるかもしれないでしょ」と貘さん自らが言ってた下策だ。何でわざわざやったのか。

カード選択は1分以内という追加ルールが入ったのが原作と比べて前後したのが原因の描写だろうけど、そこはちゃんと原作通りにやったら良かったのでは……。
確かに原作のハングドマンでも貘さんの策略は若干勢い任せな所もあった。しかし、そこをもっと勢い任せにしたせいで余計にこんがらがっている。

演出面でも全般的にあっさり目なので、これまたカタルシスが薄い原因になっている。貘さんが佐田国のカードを直接覗き込むシーンなんてもうちょっと大袈裟に画面を作っても良かったのではないか。

総じて、キャスティングと俳優の演技、途中までのストーリー構成が面白かったのに、終盤から徐々に崩れていって最後は微妙な気持ちになった。

キャラクター

先程は佐田国について言及したが、他のキャラクターについても語っておく。

斑目貘

飄々とした態度もさることながら、ニヤ~と口角を吊り上げて笑う様はまさに原作絵だった。特にこれといった不満点はなく、強いて言うなら原作より幼い印象を受けた所か。ほんとにハーモニカ吹かなくて良かったと思う。
ギャンブルに関しては原作引用のものよりも、冒頭のチンチロリンや蘭子とのエレベーター勝負などのオリジナルが小粒ながらテンポが良くて可能性を感じた。

梶貴臣

これもまた理想的なキャラ造形だった。特に良かったのが、貘さんとルーレットで大勝ちした後に豪遊するも、「なんか違うな」とふと我に返って貘さんについて行こうとする動機付けのシーン。
原作だと闇金から救われてしばらく一緒に過ごす内に貘さんに憧れるという心情だったので、「金が欲しいわけではない」梶ちゃんの内面を上手く短くまとめ上げたと思う。
貘さんと一緒にはしゃいでガッツポーズ取るシーンはめちゃくちゃ微笑ましい。

鞍馬蘭子

特異点。

原作通りの設定なのに佐田国以上にトランスフォームされたキャラクター。
食えない女極道だった原作とはうって変わって「お嬢」呼ばわりの恋愛脳ツンデレキャラに……。何故か貘さんに惚れており、彼の要求を何だかんだ受けてしまう便利な女となってしまった。
恐らく多くの原作ファンのキレどころ。

とはいえ、個人的にはこの処理も仕方ないと思う所はある。
そもそもこの鞍馬蘭子、原作でも立ち位置がやや不明瞭なまま漫画が完結してしまったキャラクターであった。

敵とも味方でもない距離感で物語の要所要所に関わるものの、貘さんとの関係に何かしらの決着がつく事がない(というか、そもそも対立軸がない)。

しかし嘘喰いに無くてはならないキャラクターには違いなく、彼女を実写化するにあたって扱いに困ったのは想像に難くない。
妥協点として「貘さんに惚れてる」+「話の潤滑油にする為にチョロくした」でああなったのではないかと思う。それからお上の事情。
まぁ連載版の蘭子も読み切り版の蘭子と比べたら違うから、世界線が変わると改変されるのも原作通り……。
う~~ん。

マルコ/ロデム

なんだその動き!?
ヨツンヴァイン走りも笑えるが、それ以上にふんわりジャンプで腹筋を試された。背景が森なのも相まってあそこだけ勇者ヨシヒコ。
本来、主役格の一人であるが、ぶっちゃけるとこのキャラはばっさりオミットしてもよかった。

映画はギャンブルに尺を割いているせいで暴パートが殆ど無い。必然、それを担うマルコの活躍もほぼゼロ。それでもキャラ立たせたいが為になんか敬語使えちゃって家政夫にまでなる始末。
蘭子の影に隠れてるけどキレてる原作ファンいると思う。

夜行妃古壱

ビジュアルは完璧。でもキャラ付けがちょっと違和感がある。
完璧な執事の夜行さんだが、原作は鉄面皮でいる場面が多いので、柔らかな笑みを浮かべる映画版の夜行さんは何だか優しそうで緊張感が薄い。美味しい珈琲を淹れてくれそう。
あと対人関係では基本的に敬語のはずなのに、映画だと立会人相手ではそうではなかったのも地味にマイナス。誰に対しても一定の距離感を保つのが夜行さんの魅力の一つだと思うので。

目蒲鬼郎

映画の数少ない暴パートを担った立役者。
同時に、佐田国の改変や號奪戦のオミットで割りを食った可哀想なキャラ。
映画の暴パートが少ないのであまり目立たなかったものの、身体能力が高いキャラを原作通りに再現しようとすると惨状が起こる事がロデムや夜行さんの格闘描写で想像できてしまった。お金と演出力が足りない。

Q太郎

Q太郎との戦いは原作の廃ビルとは違い私有地の森を使ったギャンブルに。
廃ビルの閉鎖空間とは全く異なる舞台設定だが、話の大筋はやはり原作と殆ど変わりなく、そのせいか展開がやや行き当たりばったりに見えてしまった。
ルール説明してる時点で風景や小道具含め殺す気ムンムン漂わせてるの剛気すぎるし、胸ポケットのペンを表向きに差してる夜行さんに何の違和感も持たないのはちょっと朦朧しすぎ。
蘭子がチョロくなったお陰で生き延びたのは笑った。
マルコ連れてかれてますけどいいんですか……?

お屋形様

佇まいとルービックキューブいじる様は完璧。喋るとちょっと残念。
ワガママ言うとルービックキューブはノールックでいじっていて欲しかった。

棟耶将輝

めっちゃオラついてたので最初判事だと気が付かなかった。
キャストを見たら何と唐橋充。海堂……出世したな……。

亜面

あれ?なんでいるの?
と、思ってたら立会人AR会議に全部もってかれた。あのシーン、めっちゃ「邦画」を見たなって気分になった。

まとめ

全般的に俳優と演技は一部除いて文句なく、くっついてる設定が余計。原作通りにしたいのか外したいのかどっちつかずな印象を受ける。

蘭子のキャラ改変についても、原作準拠でないからダメなのではない。
例えば、だいぶ昔に同じヤングジャンプの頭脳戦漫画でライアーゲームの実写ドラマがあったが、その中でもフクナガは原作とはまるでかけ離れたキャラでありながらドラマ独自の魅力を獲得していた。
要はどのような設定であれ、身も蓋もないが面白ければ構わない。
しかし蘭子といえば、女組長という設定なのに世渡りが下手そうな小娘なんてまるで違う味付けをしておいて、活躍といえば単に話の繋ぎとして利用されて後は画面に華を添えるだけ。

これに限らず「とりあえず出した」ような展開やキャラが多い。五巻分の内容を二時間に凝縮した事は評価が高いが、圧縮の際に軋轢が生まれているのは確かであり、その粗を勢いで最後まで押しきれずにバテてしまった。蘭子周りは色んな事情が伺えてしまうのも痛い。

しかし、全くのダメ映画というわけではなく、キャスティング含めところどころ光るものがあった。それを活かしきれなかったのがただただ惜しい。脚本だけでもブラッシュアップしてれば相当点数が高かったと思う。
原作ファンに勧めるには手放しで褒められずかといって駄作と言い切る事もできず、原作未読に紹介するにはノリが独特すぎて躊躇してしまう。そんな感じか。

しかし、自分としてはこの映画を観たことを全く後悔はしていない。
むしろ、映画のお陰で原作を見つめ直せてラッキーという思いすらある。

まぁでも、せめて次回作は迫先生監修の脚本でオリジナルの話が欲しいな。
次回あるといいですね。


余談、というか願望

今作、どうすれば良くなってたかというか、これは完全に個人的な願望みたいなもの。

実写映画に原作の要素を全て詰めようと思ったら、まず漫画の展開を採用するのは無理がある。ギャンブルものと漫画媒体の融和性は高い。絵と文字で同時に勝負を説明できるからだ。逆を言えば、その利点が薄い映像媒体ではギャンブルの流れや伏線を事細かに映しきれない。

さらに加えて嘘喰いには暴パートまである。ギャンブルとは全く別軸の描写力を要するパートであり、こちらまで平行して画面を保たせるのは至難の技だ。実際、映画でも暴パートはほんの僅かにしかなかった。

となると、どこで区切りをつければいいかわからない原作から引用改変するよりも、いっそ完全オリジナルで作った方がいくばかやりやすかったのではないか。二つか三つのギャンブルを主軸にして、細部を詰める方向が良い。

貘さんのキャラが原作と比較すると若く、はしゃぎ方が幼かったので、それに合わせてストーリーを完全オリジナルにした10代ごろの貘さんの活躍を書いて欲しかった。

嘘喰いは様々なキャラと要素が同じテーブルに並ぶ満漢全席のような漫画だ。それを全部見せようとするならむしろイチから作る方がまだイケるんじゃないかな。

皆さんも映画見て色んな思いを解き放ってみよう。

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