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アニメ版ストーンオーシャンのマリリン・マンソンの能力が変わってる話

ストーンオーシャンのアニメがついに地上波でも始まった。

ファンとして追いかけてきたジョジョアニメもついに6部。Netflixの先行配信で早速視聴して、残りの話と恐らく作られるであろうSBRアニメについて思いを馳せる毎日だ。

配信で自分のペースでアニメが見れるのはとても良い。何が良いって原作本片手に見比べられるのが良い。
読み比べるとアニメスタッフがあの複雑な6部をいかに的確に削ぎ落としてアニメに仕立て上げているのか、1から説明すれば枚挙にいとまがない。
今までのアニメ化で得たノウハウが活かされているのを感じた。

感じた、けど。

ところで、自分は6部でもミラション戦が好きだ。もともとジョジョの中でもダービー兄を初めとしたギャンブル戦全般が好きだが、ミラションも例に漏れずお気に入りである。

6部の中でも序盤の1エピソードであるため目立たない戦いだが、実はミラション戦はジョジョで初めての「賭けの途中に本体撃破を目標に入れた戦い」なのである。

承太郎や露伴は相手の術中にかかった際にまず本体を直接叩こうとしていた。しかし、人質を取られていたり、スタンドを操られていたりで失敗する。
ギャンブルで相手のルール内に取り込まれる前に撃破する思考をスッと出し、敵もそうさせない保険を出すやり取りが自然と出来る所にジョジョの先進性を感じる事が出来るが、ミラション戦はそのやり取りをさらに昇華させている。

つまり「徐倫とF・Fがキャッチボールを続ける賭け」のメタゲームとして「逃げるゲームマスターを直接撃破する」が同時並行で行われているという構図だ。

そんなわけで、ワクワクしながら見たアニメ版のストーンオーシャン。
びっくりした。

これ、マリリン・マンソンの能力変わってない……?


マリリン・マンソンの能力とは?


ネットを見るとマリリン・マンソンの能力が「賭けをジャッジして負けた相手から取り立てる能力」という風な捉え方をされているが、若干違う。

単行本ストーンオーシャンのマリリン・マンソンの説明を見てみると、こうある。

相手の心の弱点を見つけたら、とにかく何が何でもカネ目のものを取り立てる。取り立てられる人間は、心に負い目があるため、反撃する力が弱いのであろう。そこをマリリン・マンソンは取り立てる。マリリン・マンソンに取り立てられたら、隠し事はできない。

単行本ストーンオーシャン 取り立て人マリリン・マンソン スタンドステータス

この説明に「賭けをジャッジする」という記載は一切読み取れない。

それどころか、マリリン・マンソンはむしろ「相手の弱みにつけ込んでモノを奪う」というコスいスリである本体のミラションの鏡写しのようなスタンドだ。公平性など全くない。

ジョジョにおいてギャンブル戦は3部のダービー兄弟を初めとして、ジョジョの華の一つとして数えられており、一見するとミラション戦もその流れに沿っているように思われるが、実は違う。

ところが、アニメ版のマリリン・マンソンは明確に「賭けを公平にジャッジして、それに基づいて賭け金を徴収する能力」として意識されている。それは後で解説する原作との描写の相違点を見てもらえればわかる。

では、果たしてマリリン・マンソンとは本当はどんな能力なのか。

ギャンブルが主体になってる戦いだから、ついついダービー兄弟のオシリス神やアトゥム神、ジャンケン小僧のボーイ・Ⅱ・マンの系譜だと捉えがちであるが、
マリリン・マンソンは小林玉美の「錠前」の発展型である。

つまり、「相手にゲームのルールを設定させ、それを負けたり破ったりした際の心の負い目をつけ込んで金を巻き上げる」のが実際の能力なのだ。
思い返せば、玉美もミラションもしょっぱい小悪党という点では非常に似ている。
ミラションにとって賭けは相手に付け入る為の口実に過ぎず、勝つか負けるかなどどうでもいい。要は相手の心にスキを作って金とDISCを巻き上げるのが目的なのだから。
マリリン・マンソンが攻撃相手の影から出現するのはまさしく「相手の心のスキを攻撃する」という性質をストレートに表現している。
マリリン・マンソンが自身をこう説明している事からも明らかだ。

「ワタシハ エルメェスの心ノ影」
「オマエラニ ワタシを攻撃スル事ハ デキナイ」
「コノ『エルメェス』ハ オマエタチノ作った 「ルール」デ「ルール」ヲ破リ、自分デ賭ケニ負ケタノダ」

単行本ストーンオーシャン 取り立て人マリリン・マンソン その4

錠前も相手の罪悪感に応じて身体から出現する。錠前とマリリン・マンソンの類似点がわかるだろうか。
マリリン・マンソンの発動条件は「相手がルールを破った時」でも「相手が負けた時」でもなく「相手が負い目を感じた時」だ。

それが如実に現れているのがエルメェスと徐倫の発動タイミングの違いだ。エルメェスはシールを貼り付けたガムを使ってボールを引き寄せ、それが起点となってマリリン・マンソンはエルメェスを攻撃した。
これを「スタンドによるイカサマをジャッジした」とするならば、直前に行われた徐倫とF・Fのキャッチボールで徐倫が糸を使って移動しボールをキャッチした事に対する説明になってない。
公平ならば、この段階で徐倫が負けになっていなければおかしい。

では何故このような違いが発生しているかというと、ひとえに徐倫とエルメェスの精神性の違いに起因している。

エルメェスは6部メンバーの中でも常識的、良識的な点が目立つ。
6部の冒頭からして徐倫をからかう女囚をたしなめていたし、初対面のマックイィーンにしても、生き残る打算があったとはいえパンティをあげようとしたり励まそうとしていた。常識的ゆえに徐倫の突飛な行動に驚かされている場面もしばしばある。

つまり、エルメェスはイカサマをした場合それを「負い目」として感じる可能性が大きいという事だ。
反対に徐倫はまさしくジョースター家の直系というべき覚悟と精神性で非常に図太い性格をしている。糸を使って小細工した程度はイカサマと認識しない鉄の心。だからボールを分解して手元に持ってきても「野球のルールでは適用される」とドヤ顔で押し切れるワケである。
ちなみにF・Fもプランクトンを使ってボールをキャッチした事や、ミラションを銃撃した事に対して「そもそも人間ではないので機微がわかってない」という説明もつく。

徐倫が本体攻撃の作戦を選択した時にイカサマと判定されていなかったのも、次のように解説されている。

「ヤツの強さはルールを守るゆえの強さ…」
「だけどヤツは一つだけあたしたちを騙している。あたしにDISCが目的だという事を話していない点だ!」
「スタンドは無敵かもしれないがルール違反の本体ならきっとブチのめせるッ!!」

単行本ストーンオーシャン 取り立て人マリリン・マンソン その4

多少強引な点は否めないが、そこは徐倫自身の強引さとリンクしているとしておこう。
トリガーはあくまで徐倫が負い目を感じるか否かなのだから、ミラションはズルをしていると確信している故にマリリン・マンソンによる取り立ては発生しない。

さて、ここまで説明してアニメ版だ。アニメ版の描写を列挙し、「公平なジャッジを行い賭け金を徴収する能力」と改変された点について説明しよう。

原作とアニメ版の相違点


・キャッチボールのルール追加

キャッチボールの条件は原作だと10秒以内に投げる事のみ。
徐倫も「投げる距離に文句をつけないで」とまで言ったが、それだと公平性のあるルールとして詰めが甘いのでアニメ版だとミラションの文句を受けて3m以上離れるも追加された。

・徐倫の糸での移動をオミット

上記にも書いているが、改めて記す。
F・Fが暴投したボールを徐倫が糸を使って移動してキャッチするシーンが、アニメでは普通に飛び込んでキャッチに改変された。後にエルメェスがスタンドをシールを使ってキャッチしてイカサマと判断された事を踏まえると不平等になるので変更したのだと思われる。

・エレベーターから決着まで

ラスト付近はかなり改変点が多い。
まず、徐倫とミラションが乗ったエレベーターが上がったくだり、ドアの外にいたF・Fがドアをこじ開けて上昇するエレベーターに向かってボールを投げたが、原作だと徐倫がボールを分解してキャッチした所を、アニメだと普通に鉄格子の隙間からキャッチして事なきを得ている(重箱だけど、ここの徐倫とF・Fの位置関係は3m切ってる気がする)。
「まぁ、ボール分解しちゃったらスタンドでイカサマ判定になるからな」と思ったまでは良かったが、直後、徐倫はF・Fが登ってくるまで棒立ちしてミラションほったらかしていた。原作だとここでミラションを脅してエルメェスの臓器を元に戻させる流れだ。
もとを辿れば徐倫がミラションを追いかけてるのは彼女を直接潰す為である。ゲームなんて二の次だ。それなのにミラションを追い詰めておいて、何故そこでゲームを続行する行動を取るのか。
ゲーム続行を第一目標とするならわざわざミラションを追いかける意味がない。アニメ版でもちゃんと徐倫は「本体を叩く」と言っている。何がしたいのかわからない。

さらにその後、看守にボールを奪われて失敗して攻撃される流れは同じだが、原作ではそのまま捨てられたボールが、アニメ版は看守が持ち去ったボールを分解して取り戻し、ミラションに1000球ラッシュを食らわせる展開に変更された。
この行為に対し「ルール違反だ」というミラションに「誰とは指定してない。看守とのキャッチボールだ」と徐倫が補足する事でマリリン・マンソンはゲーム続行と判断し消えるが、ボールを分解した事に対する言及がなく、というか別にボールを分解する意味がなく(鉄格子の隙間がボールが通れるものに変えられてるので)、せっかく序盤でイカサマの区切りを明確化したのに、どうしてここで変に原作再現してルールを曖昧にしたのか。

最後、徐倫はキャッチボールの相手をミラションに指定し、1000球ぶつける事でキャッチボールとする、いわゆる「1000球だ!」を披露する。

これも一見するとわかりやすい改変のように思えるが、よく見ると原作以上に謎だ。徐倫はオラオラでボールに糸をつけて手元に戻るよう操作している。これはイカサマの判定にならないのだろうか。
これも勘違いされやすいが、「1000球だ!」は本来ミラション相手にキャッチボールを続行する宣言ではなかった。

原作を振り返ってみよう。
繰り返すが、エレベーターの時点で徐倫の目的はミラションを直接叩く事だ。キャッチボールは仕方なくやらざるを得ないだけで、勝負としては有名無実化している。ここでの本当の勝負は「何とかしてラッシュをぶち込みたい徐倫」VS「イカサマでハメたいミラション」だ。

まず看守にボールを落とされた後、徐倫は出現したマリリン・マンソンに脇腹に手を突っ込まれる。ミラションはこの発動についてこう話している。

「おまえはイカサマを認めたんだ、お前自身がな」
「本体であるこのあたしをブチのめせばキャッチボールは終わると」
「『考えた事』……それ自体がゲームのイカサマ有りを認めたってことなんだ」
「おまえの心が無意識レベルでイカサマを受け入れたんだ」

取り立て人マリリン・マンソン その6

アニメ版ではまるごとカットされていた台詞だ。
ややこしいが、解釈するとこうなる。

徐倫はミラション撃破を決定した時点でミラションはルール違反をしているとみなしている。つまり、ミラションの撃破という「ルール外だと思っている行為」を負い目なく認めた。それは同時にミラションのイカサマを認めたのと同義になり、キャッチボール対決はイカサマ有りの無法状態に突入した、という事になる。

その上でボールを落とされた事に対して「イカサマ対決で負けた」と徐倫が無意識に認めたので、マリリン・マンソンが発動して徐倫に攻撃した……という風に読めるはずだ。
しかしながら、「イカサマ何でもありなら、ボール落とされたのを負けと認めるのもおかしくない?」という疑問も浮かぶが、ボールを落とされたら負け、という根本的なルールは心に根付いていたという考え方も出来る。

実際、ミラションは徐倫のゲーム中にちょっかいをかけながら「ルールを決めたのはあんた達」「ボールが落ちたら負け」としつこく吹き込んでいた。
ボールが落ちる=敗北」という図式を刷り込ませる為だ。

マリリン・マンソンは徐倫の負い目から発しているので、一旦発動すればアニメ版のように消えたりしない。この時点でミラションはストーン・フリーの射程から逃れる為に離れており、徐倫はミラションを攻撃できない。
なので、徐倫はマリリン・マンソンにやられる前にボールをミラションにぶつけて射程距離を補った、というだけの話である。「1000球だ!」はもはや形骸化したゲームに則った単なる皮肉だ

大幅な変更の理由


原作に比べてかなりの改変が加えられている事、それに伴ってマリリン・マンソンの能力が変わったのがわかっていただけただろうか。
ざっくりと原作とアニメの違いを言うと、
原作は「相手の精神状態がトリガーになって出現する」のであり、
アニメは「マリリン・マンソン自体が判断を下す」

アニメで能力改変を特に感じたのは、看守にボールを奪われてマリリン・マンソンが出現した点だ。
徐倫の言うように「看守のキャッチボールだった」という意識があったならば、負い目がないのだから最初からマリリン・マンソンは出現しないはずだ。まるでマリリン・マンソンが別個の意思を持って誤ジャッジを下したように見える。
徐倫が賭けの続行を宣言した際にミラションの意思に反して勝手に肝臓やDISCを返した点からも明らかだ。
となると、アニメ版のマリリン・マンソンは明確に賭けを公平にジャッジする遠隔自動操縦型スタンドと定義して良いと思う(公平……?)。

ミラション戦の難しい所は、流し読みだと徐倫がキャッチボールで賭けをして最後はボールぶつけて無理矢理勝ったとしか読めず、別にその読み方でも一応の筋が通るから勘違いしやすい点にある。
マリリン・マンソンのはっきりとした能力説明が本編中にない事、さらにミラションやマリリン・マンソンが大仰な喋り方をしているせいで、まるで公平であるかのように見えてしまうのも拍車をかけている。

6部はそれまでのジョジョと比べると能力が複雑化し、台詞も全般的に密度が多くなっているせいか読み込まないとちゃんと理解するのが難しい。
だが、ミラション戦を原作を読み込めばちゃんと軸があるという事がわかるはずだ(読み込まないといけない時点でダメだろというのは、まぁ)。

反対にアニメは台詞を削り、展開を絵でわかりやすく見せる事を重視した結果、パッと見は展開が整えられているようで原作以上に不可解になっているという複雑な事態となってしまっている。

何故、アニメ化でここまで展開が変わっているのか?
これはハッキリと「尺の問題」と言っていいだろう。
ミラション戦に限らず、6部アニメは原作の細かい台詞や展開を相当量削り、わかりやすく再構成している。丁寧に原作を台詞まで再現しようとしたら、恐らく3クールでは追いつかない。テンポの問題もある。
さっきも言ったように、マリリン・マンソンの能力はじっくり読み込んでようやく理解できる。それをアニメでいちいち説明していたら時間が足りない。
結局、エレベーター内での大幅な展開変更も「尺の節約になるから」という事情が大部分だったように思う。あれだけ削っても24分ギリギリだったのだから、構成スタッフの苦労が伺える。
個人的には不満が残るアニメ版のマリリン・マンソンであるが、ネットを見ると概ね「原作よりわかりやすく整理されている」と好評であり、さすがと感服するばかりだ。

こういった他媒体での原作再現に絶対的な正解などない。
恐らくジョジョ中でも一番にアニメ化の取り扱いが難しいであろう6部。Netflixの最新配信でもまだ1クール目が終わったばかりであるが、この先どのような料理を見せてくれるのか、今こうしている間でも待ち遠しい。




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