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吉福伸逸さんについて書かれたもの。

 ここでは吉福伸逸さんについて書かれた言葉、語られたこと、吉福さんにあてた感謝の言葉などを集めてみます。

『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』(堀淵清治著 日経BP社)

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 まず一冊目は『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』(堀淵清治著 日経BP社)。著者の掘淵清治さんは小学館との合弁会社ビズコミュニケーションをサンフランシスコに設立。アメリカに大マンガブームを起こした人。その後は2000年代になって「ブルーボトル・コーヒー」日本法人の初代社長としてコーヒーブームに火をつけ、現在は「ダンデライオン・チョコレート」のCEOとして日米を飛び回るすごい人なのです。この本のなかで掘淵さんは吉福さんとの出会いについて書いています。

「僕にとって、こうしたニューエイジ文化とその精神世界への扉を開けてくれた日本人がふたりいる。ひとりは金子さん、もうひとりは吉福伸逸さんだ」

「当時、カリフォルニア大学バークレー校で東洋思想やサンスクリット語を学んでいた吉福さんは、もともと早稲田大学の文学部を中退してボストンのバークリー音楽院へ留学し、しばらくはジャズ・ベーシストとして活躍していたという異色の経歴を持つ人物だった」

「吉福さんはその後しばらくして日本へ帰ってしまったので、アメリカで実際に交流があったのはわずかな期間だった。にもかかわらず、彼が僕や藤井に与えた影響は大きかった。翌年、僕がカリフォルニア州立大学ヘイワード校の修士課程に通い始めるとき、ニューエイジ思想と関わりの深い文化人類学をメイジャー(主専攻)に選んだのも、彼の影響だった」

 私の本の中でも、以下のようにコメントしてくれています。

「もし、彼と会わなかったら……。バークレーであのフリーな世界にぶっ飛ばされて、その象徴が吉福さんだったの。ああ、こんな人がいるのか、こういう世界があったのかって。卒業してアメリカに行ったのも吉福さんの影響以外のなにものでもない。そういう意味では、吉福さんがいなかったら今の自分はあり得なかったと思いますね」

 吉福さんの影響力、人に対する感化力みたいなものに改めてびっくりします。

 ちなみにブルーボトルコーヒーとダンデライオンチョコレートのサイトはこちら。ダンデライオンのガトーショコラ、絶品です。


『原発はなぜ危険か』(岩波新書)

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 1990年に刊行された『原発はなぜ危険か』(岩波新書)のあとがきで、翻訳家・サイエンスライターの田中三彦さんは、吉福さんへの感謝を述べています。

「福島四号機についての発言後、私が混乱した時期に的確な助言を与えてくれた多くの朋友、とりわけ元C+F研究所主幹吉福伸逸氏に深く感謝したい。私は、吉福伸逸氏との出会いをとおして、もっとも多くのことを学んだ」。

 実はこのとき、田中さんは何者かから脅迫を受けていたのです。ことの顛末については本の中でくわしく書いています。

『ナチュラルハイ』(上野圭一著 六興出版)

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 1990年初版の『ナチュラルハイ』(上野圭一著 六興出版)のあとがきには、アンドルー・ワイル博士への謝意とともに吉福さんへの言葉も書かれています。

「もうひとり、畏友、在ハワイの吉福伸逸さんの仕事からも学ぶことがたくさんありました。一九七〇年代の初期にカリフォルニアで出会って以来、吉福さんから学んだことは無数にあります。彼との出会いがなかったら、この本が誕生することはなかったはずです。あらためて感謝の意を表したいと思います」

 上野さんは1941年生まれですから、吉福さんより2つ年上。にもかかわらずこのように書かせてしまう吉福さんって。。。

『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探求』(北山耕平+谷山大樹訳 平河出版)

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『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探求』(北山耕平+谷山大樹訳 平河出版)のあとがきにも、

「この本の翻訳に筆者を推薦していただいた吉福氏には言い尽くせないほどの感謝を覚えている」

 との謝辞があります。吉福さんと北山さんは70年代からの知り合いで、北山さんが編集長をしていた雑誌「宝島」で吉福さんは何度も原稿を書いています。


『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピームーブメント‘60〜’90』(山田塊也 第三書館)

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 すみません、カヴァーがありませんが『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピームーブメント‘60〜’90』(山田塊也 第三書館)です。この本の160ページに「遊学舎のシンポジウムでは、吉福伸逸氏、新島淳良氏、谷川俊太郎氏などに会い」とあります。ここでいうシンポジウムは81年9月の「ヤポネシア文化会議」の際におこなわれたものでしょうか。吉福さんとポンさんが初めて会ったのはもっと前だと思ってましたが…。

 この本は森と出版さんから増補改訂版が出ています。ナワプラサードで扱っています!

『マリファナ・X』(第三書館)

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 ポンさんは1995年に出た『マリファナ・X』(第三書館)でも、青山貢さんとの対談で吉福さんについて語っています。「塊」がポンさん、「青」が青山さんです。

塊 しかしそうしたニューエイジの知的な側面を日本に紹介したのが、もっぱら吉福伸逸一人だったというのがすごいね。
青 それはすごいよ。
塊 だいたいああいうことっていうのは、同じような力量をもった人間が競い合うんだけど、彼にはライバルがいなかったな。
青 そういう意味ではライバルがいなかったね。やっぱり彼はドラマチックな…ほら、ジャズ・ミュージシャンに絶望して、そこからいろんな内面の展開が始まって、自殺未遂までやった人でしょう。自分がこうだと思ったら、それを成就するエネルギーに対する貪欲なまでの情熱、そのためならなんでもやるという。

『アーティストになれる人、なれない人』(宮島達男編 マガジンハウス)

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『アーティストになれる人、なれない人』(宮島達男編 マガジンハウス)。現代美術家の宮島達男さんによる、アーティストから脳科学者まで気鋭の7人との対話です。この本の冒頭、杉本博司さんが吉福さんについて語っています。

宮島 杉本さんの場合は、西海岸の文化に触れられて、「こいつには敵わないな」って思った人との出会いというのはあったんですか?
杉本 西海岸のときは、学校にあんまり行かなかったから。友だちにカリフォルニア大学バークレー校のインド哲学とかやっている吉福伸逸という人がいましてね。そこにしょっちゅう遊びに行ってたから、そっちの勉強の方が忙しかったですね。(中略)だから私は仏教の原典みたいなものを一気に読みましてですね。カリフォルニアで。2年ぐらいの間で日本語と英語でね。

『現代のエスプリ』435号

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『現代のエスプリ』435号所収の河合隼雄さん、滝口俊子さん、藤見幸雄さんとの座談会で、日本トランスパーソナル学会会長をつとめる諸富祥彦さんはブレスワークを考案したグロフよりも、吉福のほうがファシリテーションが上手かったと話しています。

「私も吉福さんの呼吸法のワークショップに出たことがありますが、その後でアメリカでグロフのワークショップにも出ましたが、吉福さんのほうがはるかにうまかった。それはなぜかと思っていましたが、吉福さんは声がいいですね、あの声はちょっと意識を変性させやすい」

『いのちとは何か 生きるとは何か』(下村満子編著 KKロングセラーズ)

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『いのちとは何か 生きるとは何か』(下村満子編著 KKロングセラーズ)。この本の中で中森じゅあんさんが語っておられます。

「忘れもしない平成元年、突然出会い、感動させられたのが「トランスパーソナル心理学」であり、その翻訳者、セラピストとして、つとに知られる人、吉福伸逸氏でした」「参加した初回のワークショップで、私はいきなり幼児期へと年齢退行するという、じつにリアルな体験を味わったのです」


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