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祭の対岸に立つ、二人だけに贈られる花束。

選ばれた映画の記憶、その記憶による世界の構築。それら、ある種の重さを使い、二人の世界を支え、嘘を嘘として描き、積み重ね、切実さへと至る。繋がりを奪われた者が、色彩を奪われた者が、広い場所に置かれ、対岸を眺める。

そして、火花という色彩を獲得する。

ただただ素晴らしいなと思いました。

映画史的な目配せや、ジャンル的な約束事を踏まえつつ、それらを使い、今現在の物語として軽やかに着地してみせる。

歴史、とはいえ、自分に読み取れたのは黒沢清や青山真治などが2000年代に描いたこと、そして溝口など。

そういった形式主義のような選択が場面に宿っていた。

森や水、そして建築。

時流を踏まえ、様々に距離が選ばれていくが、それが「純愛」としての距離へと昇華されていく。

嘔吐、叫び、その身体的な孤独を重ね、キャラクターは存在として切実に、しかし、軽さを持ち、其処に立ち上がる。

その軽さを得られるのも、これが恋愛映画というジャンル、商品だからだろう。

それが映画として強くなったのかなと。

いやほんと素晴らしかった。

俺は『サイダーのように~』より『恋する寄生虫』が好きです。大好きです。

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