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「京都は春②」(大成海)~【連載/逆光の乱反射 vol.29】

京都の大学に通う4年生・大成海(おおなり・かい)。『逆光』の関西配給活動に参加した彼が綴る、『逆光』京都レポート第2回
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ぼくらのボス・須藤蓮は、イベントが大好きだ。好きな場所やお店を見つけては、すぐそこを巻き込んだイベントができないかと企てる。そしてぼくら『逆光』チームはその企画・運営に付き合わされる。

『逆光』のファンを増やすという大義名分を掲げてイベントを行っているが、実は自分たちが楽しいことをしているだけなのかもしれない。自分たちが楽しそうにしていれば、来てくださったお客さんもきっと面白がってくれるし、そうして『逆光』ファンは自ずと増えていくと思っている。

上映が始まって2週間ほど経った4月某日、GOGOパーティーを開催した。劇中、バンドを背にしたみーこが踊っているあのダンスがかの有名なGOGOダンスである。映画の舞台が1970年代なので、みんなでその当時に着ていたであろう雰囲気の装いで集まり、お酒を飲みながら踊る。それだけのイベントだ。

ただそれだけのイベントなのに、ぼくらの気合は凄まじかった。東京でもGOGOパーティーはあった。聞くところによると、人はたくさん来てくれたが、誰も踊らずに帰ったらしい。京都では全員を踊らせてやると須藤蓮は息巻いて、ぼくらもそれに続いた。

EVEという古着屋で行われていたパーティーに参加して、良い点と改善点を分析をしてみたり、ダンサーやDJなどに参加してもらえるよう声をかけに行ったり。告知用のビジュアルや当日に流すプレイリストを作ったり、ミラーボールを借りに行ったり。ステージを作るため、とある居酒屋で大量のビール箱を借り、それを抱えながら京阪に乗った時はさすがにしんどかった。会場のアンデパンダンには幾度となく足を運び、どのように空間を作るのか、熟考を重ねた。

そして当日。普段はカフェとして営業するアンデパンダンはGOGOパーティーの会場になった。そして時刻は18時。ネクタイとジャケットを合わせたアイビーボーイや、色鮮やかなワンピースを身につけたモダンガールたちが集まってくる。お酒を片手にたばこをふかしている人、談笑している人、音楽に身を揺らしている人。これから何かが始まりそうな予感があった。

イベントの途中、ぼくが受付をしていると、お客さんに「カイさんですか?」と聞かれ、ついにぼくも有名人になったのかと気分が高揚した。ウキウキしながら次の言葉を待っていると、それは「パネルの人ですよね?」だった。

そうだ。ぼくは京都で使われている『逆光』のパネルを数十枚作成した。パネルを作っている様子がInstagramのストーリーに幾度かあげられていたので、ぼくは「パネルの人」として認識されたらしい。貼って切るだけのパネル作成がぼくの代名詞になっていることへのほんのりとした寂しさ、それでも認識していただいていることへのありがたさと嬉しさ、パネル製作者としてのプライド。いろんな感情が入り混じって、変な声で「ありがとうございます」とお礼を言った。

そうしていると、舞台にみーこが出てきた。『逆光』の中にいたみーこがぼくの目の前にいる。映画からそのまま出てきたようなみーこがGOGOダンスを踊り、お客はビール箱で作られたステージの上にいるみーこを見つめては沸き立つ。横の方でぴょんぴょん飛び跳ねていた須藤蓮は、跳ねて踊りながら徐々に真ん中の方へ寄ってきて、最終的にはみーこよりもスポットライトを浴びていた。DJのダンサブルな選曲でフロアは白熱し、須藤蓮の全員を踊らせるという夢は叶えられた。最後はみんなで肩を組んで大円団になり、ターンテーブルの上でLP盤が回るかのようにぼくたちも回った。いつの間にか時計の針も終了時間の22時を回っていた。

この夜は時代が違った。世界が違った。夢みたいな夜だった。森田童子の「あの時代はなんだったのですか」という歌詞を思い出す。もしかすると、実はみんな夢であったのかもしれない。

それから1週間も経たない水曜日、GOGOパーティーの余韻も冷めやらない水曜日、六曜社珈琲店を『逆光』がジャックした。

1階店マスターの奥野董平さんが蓮さんの熱い思いを受け止め、さらに熱い思いをぶつけてくださり、2時間近く語り合う夜があったらしい。そして、『逆光』が勝手に六曜社珈琲店とのコラボグッズを作り、上映期間限定でお店に置かせてもらっている。その勢いで、昭和喫茶体験イベントが決まった。

1階店を対話の空間、地下店を音楽と本の空間とした。董平さんにこの夜限定で70年代に六曜社が出していたコーヒーを再現していただき、それを飲みながら1階店ではそれぞれが思うままに対話にふけこみ、地下店ではレコードと古本の出店を楽しむことができる。ぼくは地下店のカウンターに入り、たまに「ニセ奥野さん」と呼ばれながら、奥にあるターンテーブルの世話をしていた。

若者でレコードブームが再熱していると言われているが、やはりターンテーブルを持っている若者は少ない。だから最初はレコードを見ても買う人が少なかった。そこで、須藤蓮と僕でレコードの試聴推奨キャンペーンを行った。「気になったレコードをおかけします」という文言をお客にかけると、興味本位で聞きたいレコードを渡してくれ、ついにはレコードが売れて行った。中には、日常的にレコードを聞いている人もいるが、ターンテーブルを持っていないのにレコードを買ってみるという人も少なくなかった。レコードが売れる度、空間全体から拍手が送られる時には大いなる温かさを感じたものだ。

運営側が特に仕掛けをしなくても、初対面同士でもそれぞれがおしゃべりを始める。昭和の喫茶店では、このような景色はありふれたものだったのかもしれないが、今の喫茶店にはない。僕も含め、皆が1人でスマホを見ているか、本を読んでいるか、一緒に来た人とのみ喋る。今の喫茶店は不気味な空間であるように思えた。

自分が当たり前だと思っていることが、必ずしも自分に馴染んでいるわけではない。東京から映画を広げるという当たり前への違和感を感じた須藤蓮は、実験的なイベントを開催しながら、自分に馴染む手段を探しているのだろうか。 (つづく)

(撮影時のみマスクを外しております。)



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