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「須藤蓮との出会い②」(須藤蓮①)~【連載/逆光の乱反射vol.2】

『逆光の乱反射』は映画『逆光』の配給活動が巻き起こす波紋をレポートする、ドキュメント連載企画です。広島在住のライター・小説家の清水浩司が不定期に書いていきます。
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翌日、東京に戻る新幹線を気にしながら、私は広島の中心部にあるセレクトショプ「ref.」(ここも『逆光』の広島配給活動の拠点のひとつだ)のバックヤードで須藤に話を聞いた。ほんの2日前に挨拶をしたばかりなのに、もうずいぶん前から知り合いのように接していることが不思議だった。すでに彼の術中にはまっていたのかもしれない。

須藤とのファースト・インタビューは2021年3月27日。まずは余計なナレーションは付けず、そのままの形でお送りしよう。

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今回の尾道~広島の旅は、3月22日に尾道に入ってから今日までなので全部で6日間ですね。
まず尾道の試写で大きかったのは、映画に向き合う姿勢を正されたことでした。ものを作る以上、当然僕は作品のチカラだけで評価されることに憧れがあって。東京ではそういう反応だったんですよ。1ヶ月前、初めて東京で試写をやったとき「台湾ニューシネマを彷彿とさせる傑作」って言われて得意になってたところがあって。「こんな映画が出てきたか!」「繊細なアート映画の傑作!」って映画業界の大人たちが盛り上がって、作品自体が評価されたんです。
それもあって、尾道の人たちはきっとこの映画が尾道で撮られたことに誇りを持ってくれるだろうと甘えた気持ちでいたんです。東京の映画業界のレジェンドたちが褒めてくれたんだしっていう自信もあったから。そしたらものの見事にボコボコにされて……。
おそらく僕は地方をなめてたんです。僕は当たり前のように「素晴らしい!」という反応を期待してたけど、普段映画を観ない人や尾道という街を深く知っておられる方からは「映ってる海が瀬戸内海じゃない」「街の表層的な部分しか捉えてない」「なぜ舞台が尾道なのか必然性が見えてこない」とあちこち突っ込まれて。それは自分がこの先、映画を撮っていくかどうかまで問い直されるくらいの衝撃だったんです。面と向かって「面白くない」と言われたことも初めてで……恥ずかしい話、僕は泣いてしまいました。

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そういう意味で、尾道は僕の作り手としての自覚が初めて芽生えた場所でした。「作り手ってこういう気持ちでやっていくんだな……」っていう土俵に初めて上がったのが、東京ではなく尾道の試写だったんです。
尾道での話題の焦点は「尾道の映画」ってところで。「ここで撮られた映画をどう観るか」っていうのが街の人との議論のテーマだったんです。でも広島はそれと違って、映画の配給活動に興味を持ってくださる大人が多かった印象です。僕が試写後の挨拶で話した「広島から東京へ」という配給のコンセプトや、その情熱や熱量にあてられたという感想が多くて。
僕は今回の『逆光』は「配給も含めてひとつの作品」だと思っているけど、正直それって作り手としてどうなんだろうという気持ちもあったんです。今でも作品単体で勝負したいという気持ちはあります。でも今回広島の人に会って、多くの方に映画の宣伝配給に関する協力を申し出てもらって、改めて「配給込みでもいいじゃないか」という気持ちにさせられたんです。
作品の好き嫌いって好みが分かれるんですよ。でもこの映画を好きな人も嫌いな人も「広島を盛り上げる」「経済至上主義に対する疑問」みたいな部分で分かり合える人はたくさんいて。映画を旗印に気持ちをひとつにして、コミュニティを形成していくことは恥ずかしいことでもなんでもなくて、むしろ誇っていいことだと広島の人たちに改めて教えてもらった感じです。
僕は映画を作ることと同じくらい、活動することに興味があるんです。映画を「体験」にまで持っていきたいというか。いくらいい映画であっても、作品を観客のひとりとして劇場で観て、家に帰るだけであれば、そこまで多くの熱量って生まれないと思うんです。だけど今回のように作品という旗のまわりに面白い人がどんどん集まって、何か新しい動きが起こるのであれば、もしかして作品が良質ということ以上に価値があるのかもしれない。

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前から思ってたけど、いざ試写をすると作品の評価に興味が行っちゃって、どんどん映画が小さくなっていくんですよ。どうしても自分の評価に目がいっちゃう。だけどマクロな視点で見たら、自分の評価なんかよりこういう作品が今後若手の監督にどう影響を与えるか、日本という国の美意識や日本映画の歴史にどんな変化を与えられるかということの方がよっぽど重要だと思うんです。僕の作家としての評価なんか些細なことで、それより広島の人たちと深い交流が生まれたり、それを下の世代に引き継いでいくことの方がよっぽど動的で価値があることだと自覚し直したんです。
そう考えると、この配給活動の主役は僕ではなくて広島の人たちなんですよ。僕の役割はその導火線に火を付けるだけ。映画を味わうことも大事だけど「配給を味わう」ってあまりないじゃないですか。でも僕はそこにこそアート作品の価値があると思うんです。(つづく)

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映画『逆光』は現在、配給活動を支援するためのクラウドファンディングを行っています。↓ ↓ ↓ ↓ ↓


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