物語としてのフットボール

このノートでは、日本代表のゲームを中心に、単なる事実の羅列に留まらない“ストーリー性のあるフットボールレビュー”を書いていきたい。

スポーツを観戦する際には、人によって様々なスタイルが存在する。競技面にフォーカスし、技術・戦術の観察に勤しむ者、とにかくスタンドで声を大にして愛するチームを応援することに心血を注ぐ者、あるいはアイドル的感覚で選手に黄色い声を送る者など、同じ場面を共有しながらも、何を見、何を感じるかは大きく異なる。

そんな中、個人的にはスポーツ、特にフットボールを、映画を見ることや書籍を読むことと同様のものと捉えていたように思う。ある時は感動やロマンを、またある時は人生訓を授けてくれる、90分間の即興セッション。2000年のシドニー五輪、地球の裏側からブラウン管越しに見たキャンベラ・ブルーススタジアムの一戦に心を奪われ、以来今日までほぼずっと、生活の一部にフットボールがある状態で生きてきた。常に多くの試合を観戦していた訳では無かったけれども、フットボールとの関わりによって、自分の中に単なるスポーツを超えた多様な知見を蓄積することが出来たように感じている(残念ながらきっかけとなった南アフリカ戦の内容はあまり覚えていないのだけれど)。

一方で、世界中で日々星の数ほどの試合が行われる中、そのほとんどがその場限りのものとして消費され、やがて別の新たな試合に記憶を上書きされてゆく。歴史に残るような印象的なものを除き、多くのゲームは2度3度と繰り返し見られることはない。おびただしい量の情報を内包しながら、嵐のように人々の心をざわつかせ去ってゆくフットボール。そのほんの一部を、文章という形で表現することで、一過性のエンターテインメントに留まらない価値に昇華させていきたい。
当然ながら、誰もが認める名勝負については、そんなことをせずとも皆忘れないであろう。しかしそうしたゲームも含め、“物語化”を行うことでさらにインパクトのある、ひいては観た人に少しでも影響を与え得るものに深化させることができれば…。そんなことを考えている。

普通の一戦からは、見逃され過ぎ去った光景を。
世紀の一戦からは、感動のその先に見えてくるものを。
大仰な妄想に駆られた一介のフットボールサポーターが、そんな試みをしていきたい。

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