祖父の足取りを追う

 韓国動乱(朝鮮戦争)開戦から70年以上が経った。北韓国(北朝鮮)が北緯38度線を越えて攻め込んだ日を取って韓国では6・25戦争とも呼ばれる。共産主義を掲げる人民軍が釜山まで来たらクリスチャンだからどうなるかわからないと、長男だけが暗い夜の玄界灘を越えた。ようは密入国である。この戦争があったからこそ僕は日本で生まれたようなものである。
 韓国人男性はよほどの事情がなければ二年の歳月を国家に取られるためにこの戦争について思うところがあるのかもしれないが、彼らとはまた違う事情で僕は6・25を迎えたのである。いや、もちろん韓国人にだって、家族が北出身からの避難民だとか、国軍に殺された身内がいるとか、それぞれ事情をもっているはずで、彼らがなにも考える必要がない人々だと思っているわけではない。当たり前だが僕以上に切実だ。

 祖父の足取りは実のところよくわかっていない。なにせホラが多い人だったので、もはや「暗い玄界灘を漁船で渡った」というエピソードすら信憑性が低いのである。いや、密航しているのは確実である。その手段が漁船かどうかがわからないのだ。大村収容所にいたとか(この収容所の詳しい説明はすると時間がかかるのでしないが、密入国した朝鮮人の収容施設だった)、北韓国への北送(帰国事業)のときに万景峰号のタラップに乗って祖母方の親戚を連れ戻したとか、総会屋の許英中と仲が良かったとか、このへんの祖父から聞く話はおおよそすべてホラだそうだ。その信用のなさは死後に戸籍から知らない女性の名前が出てきたことからも窺えるだろう。

 そんな祖父を活かした神に立ち返り(宗派は違えど)キリスト教信仰を継承した僕は、いちど祖父の日本国内での足取りを追おうとして、祖父が通っていたであろう教会の牧師先生に掛け合って記録を見ようと試みたことがある。せめてどこの教会にいただとか、何月何日に日本に来たのだとか、少しでも正確なことを知りたいと思ったのである。6・25は戦争が始まった日付であって、祖父が玄界灘を渡ったその日でないのは確かなはずだ。
 教会から攻める試みは無惨にも失敗した。なにせ祖父が密入国してすぐに頼ってやってきたという神戸の教会は統廃合だかでなくなっていて、しかも時代が時代なのでロクな記録が残っていないのだという。祖父の遺骨が納骨堂に入る際に信徒としての証拠となった書類が出てきた最後の所属教会ですらその前のことはわからないのだ。祖父がなぜその神戸の教会にたどり着いたのかすら誰も知らない。祖母は90なっても健在だが、なぜあんなうさんくさい身元もよくわからないような密入国者の男と結婚しようと思ったのだろうか。孫ながら疑問である。

 韓国に渡って韓国の役所や教会での記録を調べるのもその手段のひとつである。幸いなことに我が家は韓国側の親戚との繋がりが強く、皆いまも熱心なプロテスタントのクリスチャンである。間違っても僕だけカトリックに改宗したとは言えない。祖父が洗礼を受けた釜山の教会にどれほどの記録があるのかわからないし、その教会が現存しているのかどうかも怪しい。うちの信仰の系譜はどこから始まったのだろうかというのが目下のところ気になるイシューだが、わざわざ韓国まで行ってそれをするのかと思うと別にいまじゃなくてもいいかという気にもなってくる。

 祖父の遺骨が納められた納骨堂には立派な字で「我等が国籍は天国にあり」と聖書の一節が書かれている。最初は在留資格すら怪しかったくせに、いまも死んでからも天国にいるのか地獄に行ったのかもわからない。難儀な人物の孫になってしまった。すべてが明かされるのは最後の審判のときだろうが、それまでにこの世で少しでも祖父の足取りを探したいものである。

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