韓国学校の青春②

 前回の続き。今回はカルチャー的なところというか、言語環境や学校行事などの紹介である。

特殊な言語環境

 大学のとき、朝鮮学校出身の先輩たちによくしてもらっていたが、朝鮮学校卒業生は朝鮮語と日本語の混用がひじょうに多いことに驚かされた。「미안합니다 電車が止まってる때문에 少し遅れる입니다(すみません電車が止まっているので少し遅れます)」なんてのを聞いたときはたまげそうだった。女性は日本語で話すときも一人称が朝鮮語の一人称「나(ナ)」だったりするのはかわいい。日本語と朝鮮語の混用を彼らウリボンマルと呼んでいるらしい。ウリマル(韓国語/朝鮮語)+イルボンマル(日本語)をくっつけたオリジナルのことばなのだが「え!?同志はウリボンマル使わない입니까!?」と言われたときはバカにされているのかと思った。朝鮮学校ではとにかくそんなかんじだが、自分がいたころの韓国学校ではまずそんな混用はなかった。いまは知らない。

 前回の記事で、韓国学校では韓国語と日本語で会話が成立してしまうことを書いた。こちらが日本語で話し、相手が韓国語で返す。お互い相手がなにを言ってるのか理解できている限り、これで延々と会話が成立してしまうのである。ただし日本語と韓国語を混ぜることはあまりない。日本語を話すときは日本語で、韓国語を話すときは韓国語で、がかなり徹底されていたように覚えている。社会言語学ではコードスイッチングなんて用語があるのだが、日本語と韓国語の切り替えもひんぱんにあったものの、混用されることはなかった。ちなみに混用のことはコードミキシングといい、ウリボンマルはこっちだろう。

 そんな韓国学校でも例外というか、日本語で話してても韓国語を混ぜるときといえば人を呼ぶときだろうか。先輩のことは선배(ソンべ)と呼ぶ。がんぺーソンべ、みたいなかんじで名前の後ろにくっつける。学校の規模がひじょうに小さいので上下関係はけっこう密である。先生のことは선생님(ソンセンニム)というが、日本語で話すときも「がんぺーソンセンニムいらっしゃいますか」などというかんじで使う。

 ほかにもクラスの呼び方。A組とD組があったが、これらは韓国語でA반とD반(バン=漢字の「班」)と呼ばれる。自分の叔父さんのときはB班があったというが、BとCは生徒数の減少で欠番になったらしい。とにかくクラスのことを「えーばん」「でぃーばん」と呼ぶのだが、これが日本語で話すときにも直接「えーばん行ってくるわ」などというふうに言うのである。

 教室に入るとまず黒板の上に国旗を額縁に入っているのが目に入るだろう。もちろん太極旗、大韓民国の国旗である。愛国心とはおそらくこういうところの積み重ねである。それ以外は目に見えるところで特に日本の学校と変わったところはないかもしれない。強いて言えば黒板の上にハングルが踊っていることがあるというのは前回の記事に書いたとおりである。

 韓国学校では出席番号は五十音ではなくハングルの順番で並べられる。僕の姓は李で、読み方は「い」になるのだが、この名前はおそらく日本学校では「あ」から始まる人がいなければ出席番号1番になる可能性のある名前ではないだろうか。記憶が正しければ建国学校時代はこの出席番号は34番であった。一学年が40人ほど、クラスに関係なく学年通しの出席番号が付けられたので、40人のうちの34番目である。韓国語では이(李)の子音ㅇはだいぶ後ろのほうにくる。

 では出席番号の頭のほうはどんな名前かといえば姜(강/カン)に康(강/カン)、高(고/コ)、奇(기/キ)、金(김/キム)といった日本語でいうところのカ行の名前がくる。ハングルの順番どおりに並べるとㄱ(k)がいちばん初めにくるので日本語の並びとは違う光景が見れる。ちなみに康や高は済州島によくみられる姓である。大阪の在日韓国人には済州島にルーツを持つ人が多いが、そんな大阪に位置する建国学校も例外ではない。

韓国学校らしい楽しい学校行事

 全校集会などでは、韓国のフォーマルな場面では必ずある国民儀礼という儀式から始まる。国旗に対する敬礼、愛国歌(国歌)、黙祷などをするのだが、この記事を書いているときに敬礼のときに流れるアナウンスを唱えてみるときれいに覚えていた。習慣とは恐ろしいものである。

 韓国学校は生徒数がひじょうに少ない。建国学校のとなりには浪高と呼ばれる浪速高校があったのだが、あちらは大阪でも有数のマンモス校である。建国の幼小中高を合わせた人数でも浪高の一学年の人数には届かない。だいたい330人くらいだろうか。もともとそんなに広くない体育館なのだが、そこの幼小中高の全校生徒が集まってもきれいに収まってしまう。

 校長先生は韓国から派遣されてくる先生のこともあれば、在日の先生のこともある。在校当時は韓国から来た先生で、いつもスピーチの最後に「사랑합니다(愛しています)」とつける人だった。校長先生のお話は韓国語である。というか入学式や卒業式など、フォーマルな場面はだいたい韓国語になると思ってもいい。先生が立つ講談のうしろには学校旗と太極旗。「国旗に向かって敬礼」をするための旗が常に体育館兼講堂にかかっている。儀式関係は韓国語だが、日本語ネイティブのソンセンニムが話すときは日本語である。

 学校行事といえば、体育祭は全校園児・児童・生徒を集めた幼小中高合同である。全校横断で赤・白・緑・青の四組に分け、体育祭の最後の演目には組対抗で「建国リレー」をする。幼稚園児から高三までバトンを繋いでいくのだ。こいつがいちばん楽しい。だいたい小学生高学年くらいでどこかが引き離したと思いきや、リレーの終盤の高校生でどんでん返しが起こったりする。最後まで目が離せないリレーである。小さい学校ならではの楽しみだろう。建国リレーに出場したことがあるのだが、高校生だからといってすかしているわけではなく、本気である。まじで楽しい。

 韓国学校ならではの行事といえば우리말 이야기 대회だろうか。「韓国語を話そう大会」だ。各クラス代表の生徒たちが、小中高の全校児童生徒の前で韓国語でスピーチするという日である。ふだんは本国出身生徒が多い環境でいると感じないが、これは在日の学校らしい行事だなあと思っていた。日本生まれ日本育ち、韓国語がネイティブではない在日生徒の練習、発表の場になる。

 この大会、出場にあたって制約がある。まずは韓国語ネイティブは登壇できない。そらそうである。非韓国語ネイティブのためにする行事なのに韓国語ネイティブを出場させても意味がないのである。ここで疑問になるのはニューカマー生徒の取り扱いで、日本生まれ日本育ちでも韓国語ネイティブで家庭内言語はほぼ韓国語だという人もいるし、親が韓国出身でも日本語ネイティブで韓国語ぜんぜんあきませんという生徒もいる。だいたい基準になるのは国語のクラスで上級班、本国班にいるかいないかというところではないだろうか。本国班になると韓国の学校でする国語の授業と変わらない。もちろん本国班や上級班に振り分けられている日本語ネイティブの在日生徒もいるが、日本語ネイティブなので出場権がある。このへんのバックグラウンド的なところは先生がだいたい把握している(というか国語の授業でわかる)。大会が近づくと、出場権がある日本語ネイティブ生徒に「大会に出ろ」というお声がかかる。

 高校二年生の時に友人といっしょに登壇した。はじめは彼だけに声がかかっていたのだが「がんぺーといっしょなら出る」という条件を付けやがったので、いやいや一緒に出ることになった。記憶が正しければたしか三人まで一緒に出れるはずである。うちのクラスは過去にいちど出場した生徒と韓国語ネイティブ生徒の割合が高く、選択肢もなかったのだ。お題は何でもいい。たしかマレーシアのことを話した気がする。全校生徒の前に登壇して話した結果、副賞であった。一緒に出た彼が優秀だったのと、そういうところの努力はできた年頃である。個人的な話になるが、学校で生まれて初めて努力で貰った賞状だったかもしれない。いまでも残してある。

 出場しない生徒はといえばただ見るだけである。いろいろな話を聞けておもしろい。お題は自由だが形式も自由で、ひとりで演説するだけのような生徒から、自分たちが副賞をとったときのように複数人で掛け合いのようなことをするクラスもある。なかには笑いを取りに来るクラスもある。なによりこの日は行事の日なので授業がない。

緊張する学校行事

 ほかに韓国学校らしい行事といえば「発音試験」と「単語テスト」である。これらは全員参加でかつ、楽しいものではない。

 まず発音試験である。自分のときは高校一年の二学期後半にやっていたが、いまは高校二年の一学期に移動したらしい。なにをするのかというと、애국가(国歌)、교가(校歌)、아리랑(アリラン)といった曲のうち指定された曲をひとつかふたつを完璧な発音で歌うこと。指定された文章を韓国語で完璧な発音で読み上げること、韓国語での簡単な質問を答える、などである。国語の先生が五人ほど見ている前でひとりずつ試験をする。

 国語の先生は優しい。いつもにこにこしているかんじの先生が多いが、発音試験のときは目の色を変えて口の動きを見ながら採点している。韓国語がわかる方はわかるかもしれないが「ㅋが弱いなあ」とか「영원の원の発音が不自然に聞こえるよ」とか、とにかく厳しい。そしてこの試験は満点になるまで続く。はじめの数日間は発音試験期間といったかんじの時間が用意されているが、その期間中に合格できなければ合格するまでずっと国語の先生たちの前で歌い続けることになる。

 高校にこの試験が設置されているところを見ると、おそらく韓国語ネイティブが少ない高校からの入学者を意識したものだと思われるが、小中から韓国学校に通っている生徒も容赦なく参加である。但し、国語のクラスが上のほうになるにつれて試験はアリランを歌うだけ、みたいなかんじで省略されていた。ネイティブの発音を確認していても仕方がないからであろう。かくいう自分も中学から韓国学校なので一部の試験が免除だったが、それでも期間中の合格はできず、後日国語の先生たちを捕まえて廊下で歌う羽目になった。音痴かどうかは関係ない。とにかく発音正しく淀みなく歌えて読めて答えられるかどうかがポイントだ。

 こういう試験があるので、国語の授業も前二週間ほどは特に初級班(班はクラス)などでは徹底して練習するそうだ。ほんとうに発音の訓練は徹底しているので、高校から入った在日生徒で卒業する時も韓国語ぜんぜんわかりまへんという同級生がいたが、そんな彼でもハングルで書かれた文章を見せるときれいな発音で読んだ。そして自分で言うのもなんだが、韓国語の発音だけ、発音だけはネイティブ並みである。いまはわからないが、少なくとも当時はかなり上手かった。韓国に行ってもネイティブだと思われるほどにできるのだ。この発音試験があってのことである。

 もうひとつの「単語テスト」はその名のとおりなのだが、英単語テストといった毎週あるやつなどではない。試験の名前を取って낱말(ナンマル)と呼んでいた。ナンマルは小中高通しの全校一斉テストで、各学期に一日、この日にナンマルしますよとアナウンスされるので、それに向けて勉強せないかんのである。
 1~30級まで用意された単語テストは韓国語の単語の実力を測るもので、これまた国語の授業のクラスによって開始する級などが違う。韓国語ネイティブ生徒は日本語を答えるほうがメインの問題用紙になるらしい。日韓両言語を自由自在に操るニューカマーの両言語ネイティブみたいな生徒がいちばん得ではないか、と思うかもしれないが、彼らには彼らなりの難しさがある。話しているそれぞれのことばがリンクしていないので「りんごは韓国語で사과」というのをしっかり覚えないといけないのだ。結局みんな、ナンマル試験に向かって学校独自テキストで学習することになる。この試験も不合格になれば合格するまで再テストである。ただの単語テストといえばそうなのだが、学校独自の単語集まで発行されているところに本気度を感じる。

韓国学校ならではの授業

 前回の記事で書き忘れていたのだが、韓国学校独自の授業といえばなんといっても「在日史」だろうか。約百年にわたる在日韓国人史を高校一年のときに習う。ちなみに日本史、世界史、韓国史も必修なので、歴史系の授業は四種類あることになる。

 個人的にはこの在日史の授業がいちばん好きだった。いちばん自分たちに身近な話だからだろう。民団の発行したテキストを使用するが、あの権益擁護運動のなかには自分の祖父母や両親がいたのだのだとか、そういった身近さがある。在日三世の自分にとってはいちばん興味深いものだった。

 オールドカマーの在日生徒は身近かもしれないが、本国出身生徒やニューカマー生徒、日本人生徒にとっては少々遠い出来事だったのかもしれない。それでもこればかりは在日の学校なので受けておいてほしいなとか思うのである。

 国語と韓国社会の授業も日本学校では習わないだろう。国語については前回書いたとおりであるが、韓国社会というものもある。歴史の授業では朝鮮王朝の歴代王の名前を全員覚えさせられたりする。これまた記事を書いているときにぶつぶつ唱えてみたが全員出てきた。教育というものは偉大である。

 韓国学校というとよく「韓国学校は反日教育をしているのだろう」と言われるのだが、そもそも反日教育とはなにを指すのかはわからない。日帝植民地時代のことや日帝のアジア侵略などを反日教育だというのであればお門違いである。韓国だけでなくアジアじゅうの国々に文句を言いに回ればいい。少なくとも日の丸を燃やせなど言われた覚えはない。

 むしろそのへんにかんしてはいちばん神経を使っていた。「小さき外交官」という教育目標があったが、日韓両国のことをよく理解して懸け橋になりなさい、というわけである。口がさがない高校生などは「在日は日本人と韓国人の悪いところばっかとってる」なんて言っていたが。

おわりに

 今回はカルチャー的なところというか、どちらかというと韓国学校独自であろうと思われる言語環境や行事について書いてみた。もう少し生徒間でのやりとりについて書けることができればいいのだが、あくまで自分が中高通っただけの世界なので「韓国学校の生徒間ではこんなかんじのあれがありますよ」的な一般化はできないと思って少し悩んでいるところである。まあ行事などは生徒の個人的なところが関わってこない話なので、変わっていなければ概ねイメージできるのではないかと思う。またなにかネタがあれば考えておきます。

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