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BFC5落選展感想34~36

BFC5落選展の感想です。リストはkamiushiさんによるまとめ「BFC5落選展」をお借りしました。


LIST34 「まぶたといと」岩井平米

※記事が閲覧できなくなったため、感想は差し控えます。

LIST35 「唾鬼」雨田はな

 私はフロイトの「口唇期」を、中学生くらいの頃にインターネットで知りました。ざっくり説明すると、人間の性欲を発達段階で五つに分類した時、いちばん最初に来るのが口唇期です。授乳などを通して吸ったり噛んだりする悦びを知る段階らしい。

 発達段階はそのあと肛門期、男根期、潜在期、性器期と続きますが、ここではあまり触れないでおきます。

 で、私自身はこの発達段階を「本当かあ!?」と思っている。だって、ちゅーちゅー吸ったりモグモグ噛んだりすることは性欲の萌芽だ!と思うと、現実でゴハンを食べるテンションが下がっちゃって・・・そういうのはエロ漫画だけでいいよ・・・。

 だから私がこの作品を読んでて安心したところは、主人公のレイが性欲とはまったく無関係に唾液を求め続けている点でした。少なくとも文章からは、レイが性的に興奮している印象をまったく受けなかった。むしろ冷静です。母の愛を求めるという根源的且つエモーショナルな動機とのギャップがすごいよね。

◇「唾鬼」あらすじ

 主人公のレイは幼少期、母が咀嚼して吐き戻したものを離乳食として与えられていた。レイが大人と同じものを食べられるようになった頃、母は交通事故で急死してしまう。レイは母方の祖母に引き取られるが、咀嚼しては口に入れてくれる母を思い出しては泣いていた。

 成人後は食品や人口唾液を加工して母の唾液を再現しようとするが、思うような結果は得られなかった。唾液を飲ませる性的サービスを扱う風俗店の利用を検討したが、疫病の流行で休業してしまい諦める。

 その頃、レイは唾鬼の存在を知る。怪しげなネット記事に書かれた唾鬼は他人に口づけを迫っては唾液をむさぼる性犯罪者だ。それ以上の行為に及ぶことはなく「すまなかった」と言い残し立ち去るという。

 レイは同性に性的サービスを提供する風俗店で働きはじめた。人気が出て仕事としては成功したが、求める唾液にはめぐりあえず、常に新規客を求めた。現場を退いたのちは指導員として各地を回り、後輩の指導にあたった。

 五十を過ぎたころ、レイは若年性認知症と診断され、介護施設に送られた。視力を失い、介護スタッフに食事介助を受ける。

 相手を母親、とろみ食を母親の咀嚼した食べ物と誤認するレイは「とっても美味しいよ、ママ。今までで一番」と言う。


 あらすじ書いてて少し涙ぐんでしまった。

 なんてことだろうね。レイときたらさ、もう伝説とか言われるくらいプレイがうまくて、キスなんて仕事として何千人としてきたのに、それでもお母さん以上の相手には巡り合えなかったのかよ~~!

 話が好きすぎてあともう褒めるしかなくなるので、逆に好みで細かい注文をつける。興味なかったら次の小見出しにGOだ・・・。

・言葉選びについて
 安っぽいネットの連載記事、わかるけど実在の猟奇事件じゃなくて都市伝説くらいにしといたほうがリアルだったんじゃない!? だってこれを読む限りレイは犯罪を犯してないよ。(実は裏でやってるとかだったらわからないけど)あと唾鬼ってネーミングも妖怪っぽいし・・・。

◇唾液と性欲

 冒頭でも性欲の話をしましたが、レイは性欲がないというより、刺激しないようにしているのかなあと思いました。

金で解決できるなら、と風俗店の利用も検討した。唾液にまみれ、原型を失った食べ物を食べさせる咀嚼プレイや、唾液を飲ませるプレイ。お仕置きやご褒美と名のつく行為ではなく、レイにとっては母の愛だった。疫病の流行でその手の店は休業し、計画は水に流れた。

「唾鬼」雨田はな

 風俗店利用はあくまで検討しただけ、店が休業してからは完全に諦めています。現実にある「高価な人工唾液」は調べると医療用のスプレーが1500円くらいのようです。高い・・・けど、風俗と比較したら安いよね。

 じゃーコストが原因で二の足を踏んでたのかっていうと、そうでもない。

 実際に風俗業に身をおくようになるのは、ネット記事で「唾鬼」を発見してからです。「その日から、レイも唾鬼となった。」おそらくここがブレイクスルーで、他者と交わる覚悟を決めたのだと思う。

 この時のレイは、どんな気持ちだったんだろう。(あ、唾鬼とかってアリなんだ)って感じか。あるいは(私も唾鬼になりたい)、いや(私って唾鬼じゃん)と気づいてしまったんだろうか。

 唾鬼にならないと一歩踏み出せなかったんだろうなーと思います。

 レイはさ、お母さんから離れたくなかったんだと思うよ。お母さんともう一度出会うために他者と触れ合う。この時の他者はレイにとって単なる通路でしかないんだけど、それでもキスってお母さん以外のひととの触れ合いじゃないですか。お母さんはレイに口移しでものを食べさせていたわけではない。そう考えると、とても勇気のいることだよな。

 だけど、お母さんを求めれば求めるほど、レイは他者を道具としか見なせなくなる。ある意味、「唾鬼になる」と決めた瞬間が性欲(他者への関心)のピークだったかも!(笑)

 恋をしたり、子供を作ったり、そういう可能性をすべて放棄して一心に母親の味を求める。そのひたむきさは見ていて切ないほどです。ボロボロになった最後には、唾液でもなんでもないとろみ食を喜んでしまう。

軽く泡立てて、なめらかにとろみをつけた薄味のそれを、介護スタッフは少しずつ口に運ぶ。
「とっても美味しいよ、ママ。今までで一番」
それはどんな食べ物よりなめらかで、喉越しが良く、素直に胃腸に滑り落ち、レイの血となり肉となる。         (了)

「唾鬼」雨田はな

 離乳食を嫌う赤ちゃんは多いと聞きます。食べさせるために手を尽くしたお母さんは、間違いなくレイを愛していたと思う。早すぎる別れが生んだ悲劇だけれど、私はこの結末を爽やかに感じた。たとえ唾鬼としてしか生きられなかったとしても、レイはよくがんばったよ・・・。

LIST36 「セーラー服」蒼井坂じゅーり

 学生時代に「事故で死ぬより刺されて死にたいわー」と言う友達がいて、「死ぬとか言うなし🍐」と返したのは覚えているのですが、その子とは卒業以来疎遠になってしまった。時たま(もっとかけるべき言葉がほかにあったんじゃないか)と思い出します。今ものらりくらりと生きていてくれたらいいのですが。

 でもそれってどういうことなんだろう。つまり、偶発的な出来事として死ぬよりかは、明確な殺意に殺されたいということなんだと思うけど。それって通り魔的犯行でもいいのかな。あるいは親しい家族や恋人に殺されたいという意味?えっ、もしかして私は誘惑されていたのか??

 一般的には「実行に移すほどの殺意を持っていた」という点で、被害者より加害者のほうが感情が強いと思います。だけどこの作品では、むしろ刺された側のほうが思い入れが強い。しかもこのひとは加害者の服のことばかり気にしている。死ぬかもって時になにを考えているんでしょうか。

◇「セーラー服」あらすじ

 駅に向かっていた「俺」はセーラー服の女子高生とすれ違い、背中を刺された。女子高生にしては精悍な顔立ちをしている相手を見て、女子高生がなにものであるのかを疑い始める。

 なぜセーラー服を着ているのか。「俺」の思考パターンは、だいたい以下に分類される。

①女子高生である
・留年している・入学が遅かった

②女子高生ではない
(a)自己認識に異常がある
・若年性認知症で、自分のことを女子高生だと思い込んでいる
・女子高生というマインドコントロールを施された

(b)自己認識は正常だが事情がある
・しつこいストーカーをかわすためにあえてセーラー服を着て痛い人を演じている
・替え玉受験で娘の代わりに受験してきたお母さんである
・フリマアプリでセーラー服が売れたけれど梱包と郵送が面倒なため着たまま運んでいる

③その他
・セーラー服に見えて実はボディーペインティングである
・セーラー服に見えて実は高機能な戦闘服である

 また、中盤あたりに「自分はなぜ刺されたのか」についても思いを巡らせている。

・「俺」を「セーラー服が好きなのでは」思いやったが、甘やかしすぎないようセーラー服を見せながら刺してきた。
・藁しべ長者のように物々交換を繰り返しており今はセーラー服と「俺」の命を交換しようとしている。

 その他たくさんの推測をしているが、結局のところ彼女がなぜセーラー服を着ているのか「俺」にはわからない。しかしながら思考だけは確かにそこに存在していた。「俺」は「老ボクサーがまだ世界チャンピオンを目指す気持ち、今ならわかるな」と思っている。


②女子高生ではない、且つ(b)自己認識は正常だが事情があるパターンが多い。単に説明に字数が必要ということもあるが、「俺」は加害者がセーラー服を着ていることに必然性を求めているのだなと感じた。

 そりゃそうかもしれない。セーラー服を着ている、女子高生じゃないっぽい人に刺される。この状況に納得するには、よほどのっぴきならない事情があると思いたいのが人情であろう。

 刺された事実より先に「セーラー服を着ている」「しかし女子高生に見えない」という矛盾を解決しようとしているのが、コンピューターっぽい思考のように感じるけれど、死にかけている時ってそういうものかもしれない。

 パン食べながら駅まで向かってたら、目の前からセーラー服着てる女子高生が歩いてきて、すれ違った。

「セーラー服」蒼井坂じゅーり

 この冒頭の一文で改行して、次の段落から正体不明の相手に刺された事実が書かれ、溶けるように思考が切り替わる。そのまま「俺」の思索がズギャギャギャと述べられているが、関西弁だから軽やかに感じますね。「メルヴィルの白鯨」のあとに「キルビルの栗山千明」で韻を踏むのは笑った。

◇死にたくない

そろそろ血の量が致死に達するけれど、なんでこの子セーラー服着てるんやろ、知りたいなーと思いながら意識はもうなくなりそうで、見えてるもんだけが答えやなくて、見えてないもんによおさんめに実はあって、それはないということなんかもわからんけれど、思考だけはそこに、確かにあって。軌跡はそこに確かにあって、老ボクサーがまだ世界チャンピオンを目指す気持ち、今ならわかるな。

「セーラー服」蒼井坂じゅーり

 死ぬ寸前まで「なんでこの子セーラー服着てるんやろ、知りたいなー」と思う粘り強さ。つまり「死にたくない」気持ちが、「知りたい」という思いに塗りつぶされているのが生きているということなんだよな。これがパン食べながら駅向かってた「俺」の、命の輝きなんですよ。

 最後に、「知りたい」ことによって現実の肉体が置き去りになる危険性についても書いておきたい。これを読む限り「俺」は「知りたい」よりも荒唐無稽な背景をあれこれと想像することが楽しくなっちゃっているように思う。

 死につつあるんだから肉体を置き去りにするのは正解なのかもしれない。とはいえ、読んでいる側としては自分を大事にしてほしいように思う。「俺」が生きているといいなあ。


次回更新は3月15日の予定です。


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