「友人の質」という違和感

Xで、こんな感じのポストをみた。
「中学受験は質の高い友人に囲まれた環境を得るためにする、お前らみたいなのと関わらないようにするために」と。

この考え自体を否定する気は無い。事実、小生は田舎の公立出身なわけだが、そこにはヤンキーから天才まで幅広く存在していた。人によってはこの環境で苦労することがあったに違いない。

※珍しいのかは知らないが、うちではいじめはなかった。
小生は奇人ということで名が学年中に知れ渡っていたが、特にいじめられてはないし、むしろ男子吹奏楽部という激レア枠ということでヤンキーに「楽器演奏出来んのすげーなー」みたいな感じで扱われていたので、特に不快にも感じなかった。
もちろんこの環境が激レアな可能性もあるので、それを一般論として押し付ける気もない。

それよりも引っかかったのは「友人の質」という部分。

嫌味のあることを言ってこないとか、そういう品がいいことを「質がいい」とみなすのは賛成である。が、発言主のポストの趣旨は明らかに品がなくて質が悪い。不必要にも関わらず他人を貶しているからだ。
この時点で、矛盾しているのではある。ほかの友人がいい人だとして、アナタのような人を周りが我慢しているだけでは?とも言える気がする。

下品なことを言うのが好きだったり、クチャラーだったり、ひたすら落ち着きがなかったり、店員に対する態度デカかったり、、けど、それ以外の何かに魅了されたり、縁があったり、逆にそのダメな部分がインフレしてるから逆に面白い、というのを全部ひっくるめて友人になった、というのは珍しくない気がする。

友人というのを「質」という物差しで計るのは、そうした人間くささを切り捨てる営みな気がするので、違和感が半端ない、、と思うのは、小生が公立出身だからであろうか。。。

ま、質を求めたらSNSでそういう振る舞いをしてしまうケースがあると考えたら、やっぱり求めなくて正解だったという解に結局たどり着くのだが。

質云々ではなく、「人間」をみて向き合いたいところである。

以上です。

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