変わっている人への耐性
よく最近、Xでこういうニュアンスの投稿をみる。
「プライベートな話などは会社の人間とはするな。ろくなことにならない。」
これに対する自分の意見として、確かに全員が全員にそう話すべきでは無いのは事実だが、ある程度のラインの人、つまり一定の学歴がある会社の人になら自分は話してもいい、というのがある。
こういう話のプライベートが何を指すのかは不明瞭だが、ろくなことにならないということは、つまりそれ自体がだいぶ特異なプライベートなのだろうと思っている。
プライベートで野球やっています、と言われるのと、プライベートで徳川埋蔵金探しやってます、と言われたら1発で分かるだろう。
ある程度の学歴を持つ人は、プライベートの話を他の人から聞いたところで、それをバカにすることはほぼないと思っている。
ではこの差はなぜ生じるのか?ということについて、1個持論がある。
それは、「変わっている人と関わったことがあるかどうか」の経験の差ではないか、と。
なぜバカにしないのかということについて、バカにしてもメリットがないのと、自分も打ち込んでいるものがあるためそれを茶化すと自分もそうなるかもしれない想像力が働いているケースが多いからである。彼らは得てしてなにかにとんでもなく打ち込んでいる場合が多いからである。
そして何より、まわりに変わっている人が多すぎて、それ自体を大きく気にする事はないからである。
そもそもとして、勉強を頑張ってきた、ということ自体がまず変わっていることと思っている。その上で好奇心がインフレしてるので、色々なことに興味をもって極める。勉強はよっぽど地頭が良くない限り、前提として好奇心旺盛でないとそこまでできるものでは無いから。
高学歴になればなるほど、まわりに「好奇心旺盛、変わっている、個性的」という部類の人間が増えるのはほぼ事実だと思う。そんな人間がまわりにいっぱいいるので、いちいち一人のプライベートな話に踏み込んで茶化すこともない。
この耐性の差が、巡り巡って、プライベートでそういう話を聞いて茶化したりなんやかんやをするかしないかの差になっている、という面があるのではないか、という持論。
以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?