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洞爺湖リトリート④・完〜すべて上手くいく〜

(↑写真・洞爺湖リトリート中)
2022年12月8日 双子座満月;次の段階へ


QUANTA主催洞爺湖リトリートについて書いています。第四弾になり、ついに、完!になります。

洞爺湖リトリートへ向かう道のりがまさかのアクシデント多発!
洞爺湖リトリート①
着いた矢先の課題発表で先制(占星)パンチを喰らう。ひぃー、どうする!?
洞爺湖リトリート②
yujiさんセッションで、自分のポテンシャルがわかると思ったら、
まさかの前世と決別通告が!
洞爺湖リトリート③


長くなったリトリート報告もこれにて終わり、
皆さまお付き合いありがとうございました。


グループセッションで、yujiさんに、「Marikaさんは、その前世から引きずっている修道女のような、我慢・忍耐をすべて、この洞爺湖に置いていきましょう!」と、通告された私・・・。


リトリート、重くないか・・・。
yujiさんが、キラキラな未来を伝えてくれるのではなかったか…。
前世からの慣習を置いていけってか…。
その慣習、我慢や忍耐は、もはや、私の一部、いや全てなのに…。


半ば放心状態で、フラフラとホテルの部屋に戻ると、同室のYちゃんが満面の笑みで、Centerのみんな(Yちゃん所属のチーム、私のチームとは違う。)で晩御飯行くから、おいで!と誘ってくれた。

その誘いで、ああ、ここは洞爺湖であったと、思い出し、猛吹雪の中、チームCenterの5人に混ざって、チャーターされたタクシーに乗り込み、優雅に洞爺湖の街中へくり出した。

※私だけだったら、晩御飯なし!として、水道水で耐えるか、猛吹雪の中歩くことに楽しみを見出すので、ここでも学びポイントである。

ところで、参加者を3つのチームに分けた(Center/攻, Gurdian/衛, Byond/尖)チーム分けというのは、伊達ではない。

チームごとに、何だかカラーが異なり、違うチームの人と話すと自分のチームや自分自身の特性が余計にくっきり分かるものなのである。


私はこの晩、1人で違うチーム、Centerチームの5人の中で過ごさせてもらったので、だいぶ、おののいた。みんな良い意味で、好き勝手にしているのである!!!!なんたる事であったか。


例えば、料理を選ぶときも、ジンギスカン屋さんだったと思うが、うどん頼んだり、お蕎麦頼んだり、と、ジンギスカンは何処へやら、確かに考えてみれば、食べたいものや体調に併せて頼むのは、当たり前なのだけど、

私の中では、さて周りは何を頼むのか、ここのお店の店主は何を得意にしていて提供したいのか、シェフは1人しかいなさそうだけども、何品も注文種類を増やしたら困るかもだから、なるべく揃えておくか、とか。


自分の気持ちを素直に考えられるCenterのみんなといて気がついたのは、

私は私が何を食べたくて好きなのか
真剣に考えたことがなかったのである。

人の好きなものはペラペラいえる、人がどんな状況なのか把握している、しかし。

私は自分の事が言えんのか…。

まさに晴天の霹靂であった。


そして、店選びやその他、行く時帰る時の会話の中にも、「ここの場所のバイブスが…。あれってこう感じる。〇〇の気はさあ…。」という会話がたくさんあり、Centerのみんなが、自分の感覚をちゃんと信じて話しているのが分かった。


私は私をこんなに信じた事があったのだろうか?


勘や、感覚は強い方ではあるけども、私は私をこんなに信じてきたのだろうか?
私を一番信じていなかったのは、そして信じてこなかったのは、自分ではなかったか。

洞爺湖の、しんしんと雪が降りしきる中、私は前方のキャッキャと、はしゃいでいる5人を見て、今はっきりと確信した事実に、ただ愕然とし、立ちすくんだ。


このように、他のチームとの交流でも、私には毎日学びが起こり、「私は何を見落としてきたのか」「どうやったら、体調不良から抜け出せるのだろう」「私がやりたいことをするためにはどうすれば良いのか」といった、問いに対する最後の答え合わせが起こった。


いま、振り返ってみれば、リトリートの最初に、参加者の中の天性のインタビュアーである子が、MOTOKOさんに「リトリートを最大限に活かすには?」という質問をした際に、「まず、その考えを捨てましょう。」という回答があった。

私の上記の体験もまさに、意図しないままに他チームに巻き込まれ(ありがとう!w)思いもしない自分に気がつき、“自信”という最後のピースを手にいれた話である。
この体調不良の1年半、仕事に向き合って、家族に向き合って、結局最後は自分と向き合って、
そして、気がつけば自分の手の中に、答えがあった。
もう、既に答えは握っていたのである。




MOTOKOさんセッションについては、①〜③で全く触れていないが(笑)好きですよ!
劇的に効果があるというよりは、ジワジワと効いてくるセッションであるので
なんとも、一言では表し難い。

私は、グループセッションで、チームみんなで同じテーマを共有した際に、
Aさんが話してくれた話を聴いて、あぁこの話は、わたし4月に振り返って、1人でベランダで泣いてたなあ、とか、Bさんが話してくれた話も、あぁ、これは6月にトイレで振り返って泣いたやつ。Cさんのは、8月に散歩しながら泣いて、、、

と、いかに1人ぼっちで泣き、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えてきたか思い知り、この1人で、はらはら泣いていた想いを、いまこの目の前で共有できる人たちがいることに、ものすごい感謝を覚えた。

1人じゃなかったんだなあ、勝手に1人だと思っていたけれど、同じ思いを抱えている人が、こんな近くにいたんだな、そしてこの広い地球で、この空間に高密度で同体験共有者が存在すること、それ即ち、奇跡ナリ。( ;  ; )



ありがたいですなあ。


そんな想いを抱えたり、周りのみんなに支えられて、リトリートの毎日を過ごして、、


最後に、「我慢・忍耐をすべて、この洞爺湖に置いていくこと。」



我慢と忍耐が人生の全てで、どんなにつらい事にも屈せずに耐え抜ける人間。

それが私の誇りだったけれど、みんなと過ごして、自分と向き合って、我慢と忍耐は“エゴ”に過ぎなかったのではないか。というのが、最終日の結論だった。



私は、広義で、私自身とみんなを救いたい。
耐え抜いて我慢比べしているうちは、私自身の、どうだスゴいだろー我慢できるぜーでしかない。
気がつけば、1番近くにいる心の友の自分が、 1番泣いていた。



我慢比べして、みんなが救えるのか?ー否。

つらい思いをし続けて、自分は疲弊して、そんなことに永続性はあるのだろうか?ー否。

我慢・忍耐をすべて、洞爺湖に置いていくことが、次のステージに繋がる。


そんなことを、最終日ギリギリ腹落ちさせて、リトリートを終えた。
我慢の忍耐を捨てた先に何が待っているのかは、実験中である。


そういえば書くのを忘れていたけれど、yujiさんにセッションで、
「あー。高野山に呼ばれているので、行ってくださいー!」
と伝えてもらった。
呼び出しなんて、職員室に呼び出された悪い記憶しかないので、
「あのー、私、怒られますか…?」
と、質問したところ、yujiさんは不思議そうに、
「怒られませんよ、エネルギー補充しに行ってくださいー。」と言っていた。

この1年半でガリガリと自ら削ったエネルギーを補充しに行ってこいとのことだった。

ほほー、お大師さんは旅で1回立ち寄っただけの者を、怒らずに、エネルギー補充までさせてくださるらしい。ありがたいなあ。
と思って、洞爺湖から行った。


といえば素直だけど、本当は、聞いたときは、いつかいけば良いや、お金ないしー行くなら春かなー今は冬で寒いしー飛行機も羽田で帰りは取っちゃったしー。と御託を並べて、放置しようとして、寝て、あくる日、目が覚めたら、突然に高野山へ行く程のお金の入金があった。腰が抜ける話である。


この世というものは、ほとほと上手くできている。



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