ウィンドウズ2250

 私たちの職場に奴らが現れてからもう一週間が経った。
 奴らの目的は我々の職場の制圧、そして立てこもりである。
 おそらく、目指しているのは国の重要な機密を扱っている我々の機関の謎を暴くこと。
 不透明な政治への一種の意趣返しが真の目的のようであった。

 机にしばりつけられた私たちは情報を得るすべをここから見える窓以外に持ちえない。
 何度目かの昼が過ぎ、夜が来て、朝を迎えた。

 最低限の食事や排せつをする権利は与えられていたので、手が不自由であること以外はおおむね快適だった。家に帰ったところで寝て起きて会社にくるだけの私だ。スマホゲームの連続ログインボーナスを失ったこと以外あまり困ることはなかった。
「いつまでこうしていればいいんでしょうね」
 私が隣でぼんやりしている部長に問いかけると、彼は「ああ」と軽く答える。
 20年以上国のために尽くしてきた彼はこの状況においてもまだ目に希望の光を失ってはいなかった。
「私たちが任されている仕事は、国にとって重要なものだ」
「ええ」
「じきにこの異常事態に誰かが気づくだろう。そうすれば国がすぐに手を打つさ」
 私はあいまいに頷いて窓の外をまた眺めた。空は雲一つない快晴だ。
 この機関をジャックした奴らも、私と同様に窓の外を見つめている。彼らもこうして立て籠もって、国が気づいて動き出すまで待っているのだろう。

「おい」
 奴らの一人がこちらを振り向いた。
「……はい」
 ばちりと目があってしまったから、私は少しためらったものの返事をする。
「お前らの仕事というのは、いったいなんなんだ」
「……」
 私は答えに詰まって口を閉じた。
「国の最重要機密事項を取り扱う専門機関だと聞いた。そこに所属する人間をもう一週間もこうしてふんじばって、動けないようにしているというのに何一つ変わらないじゃないか」
「……」
「国も気が付いていないというのか? 一切の動きがない」
「首相もいろいろあるんで、忙しいんじゃないですかね」
「そんなことが許されていいのか」
 奴らは憤りが隠せないというように唇の端を震わせる。
「国の予算の半分以上がこの機関に割り振られている。しかし中で何が行われているのかさっぱりわからない。しかも、こうして一週間! 一週間も無人のままだというのに誰も、何も気づかないし、国民の生活は何も変わらないじゃないか!」
 彼らの怒りに呼応するように、大きな窓から見える空は曇り始めた。
 先ほどまでの快晴が嘘のように雲が集まってきて、ぐるぐると渦を巻く。
 瞬く間に育った雨雲から、まるでびしょぬれの雑巾を絞ったようにどばぁと雨があふれ出し、窓を叩いた。
「一体、何をしてるんだ! お前らの仕事を教えろ!」
 もう一度男が叫ぶ。
 繁忙期でも感じたことがない緊迫感が、フロアを包む。
 私は思わず隣の部長の顔を見た。
 どうしたものか、こういったときは上席の意見を仰ぐことしかできない。

「……維持管理だよ」
 小さな声で部長が答えた。
「あ?」
 男が首をかしげて声を発した。
「維持管理?」
「そうだ。屋外のな」
 部長の言葉を聞いて、目の前の男がはっと表情を硬くする。
「屋外って、お前、」
「そう、君らの世代は歩いたことがないだろう」

 52年前、空気感染により爆発的に拡大する奇病が地球規模で流行した。
 その奇病に感染した者が直射日光を浴びると即座に皮膚が赤くただれ、呼吸困難に陥りほとんどの確率で死に至るというものだ。『日光』という弱点から、これはメディアで『ドラキュラ病』と呼ばれその名が広まった。
 ドラキュラ病は瞬く間に全世界に広がり、結果的に人類は常に抗菌された、直射日光が当たらない室内での生活を余儀なくされることとなる。国の施策で地下道が作られ、同じく国の予算で、すべての窓が紫外線や赤外線を通さない特殊な素材のものに差し替えられた。
 私や目の前の男(20代後半くらいに見える)は、当然窓から見える景色以外の『屋外』を知らない。

「私たちの仕事は、いずれ『ドラキュラウイルス』ワクチンが完成し、人類が以前のように外を歩けるようになった時のための準備なんだ」
「……」
「教科書でも習っただろう? 海、川、山の緑。広い空。だだっぴろい公園やそこを走り回る犬や子供たち」
「……ああ」
「それが、僕が子供のころは普通だったんだよ」
 その『普通』を守るために、今は外の世界を自走式ロボットが管理している。
 我々は、ドローン等を用いてそれらを管理し、指示を出すことで元通りの環境を保っているのだ。
 部長は静かな声で続けた。
「君が変化を実感できないのも無理はない。普通に生活していれば目に入ることがないような場所こそ、我々の手をかける必要があるのだから」

 かくして、私たちは解放された。
 自首したいと申し出る立てこもり犯らに対し部長は一貫して「もういいから帰りなさい」と諭したので、この一件はなかったことになり、とうとう国が何か口を出してくることもなかった。

 男たちが立ち去ったあと、窓を見つめて私は部長に尋ねる。
「ちょっと雨足が強すぎますかね」
「ああ、そうだな。弱めておいてくれ」
「わかりました」
 私は自身のパソコンを立ち上げてパスワードを打ち込むと、我々の仕事に欠かせないソフト『ウィンドウズ』を開いた。
 ほぼ最大となっている風速や雨量、雨音を調節すると窓の外から聞こえていた不快な雨音はやみ、しとしとと細い雨に変わる。

 頬杖をつきながら私は考えていた。
 部長は、この地位まで上り詰めただけのことはある、頭の切れる男だった。そのことを、私は今日初めて知った。
 真実をほんの少しだけ織り交ぜた嘘がうまい。

 屋外の維持管理をしているなどというのが真っ赤な嘘だと、私は知っている。
 ウィンドウズの画面内に映る『本当の』屋外の景色をいやというほど毎日見ているからだ。
 実際の外の世界は教科書でかつて習ったような、植物の緑や海の青色、色とりどりの花が咲き乱れる世界ではない。灰色に荒廃した、もうすでに人類が滅んだあとのような光景が広がるばかりだ。
 私たちの仕事はそれを隠ぺいするため、政府が取り付けた特殊な窓に『外』の映像を投影する仕事である。それも、雨や太陽、雪の映像は季節を加味したうえでランダムに表れるよう、すでにAIにより設定されている。
 我々がしているのは、その変化が急すぎたり、不自然にならないように調整するだけの非常につまらない仕事だ。
 だからこそ私たちが一週間何もしなくても、この世の誰も気が付かない。所詮その程度の仕事を、部長は『重要であり必要なもの』だとありがたがっているのだから笑ってしまう。

 我々の仕事は、『いつかのための準備』などではない。
 今向き合うべき現実から可能な限り目を逸らす装置の傍観者に過ぎないのである。

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