管理職管理職

「お疲れ様です、あまり残業はしないように」
 部長の無機質な声が私のふたつ隣で聞こえた。遅くまで残る部下を労っているわけでも、部下を残業させることにより自分自身が管理能力を問われることを恐れているのでもない。ただ平坦に、残業はしないように、という言葉を『伝えるために』伝えている。
「お疲れ様です、あまり残業はしないように」
 15秒ほどして、今度はすぐ隣でそれが聞こえた。同じく平坦な声で、同じ言葉を繰り返す。
 隣に座っていた私の同僚は「そろそろ帰ります」と答えて、PCの電源を切った。荷物をまとめて立ち上がる。
「お疲れ様です」
 同僚は、部長と私、それから奥でまだ事務作業をしているもう1人の同僚のちょうど中間あたりに曖昧に頭を下げて、「お先に失礼します」と職場を後にする。
 私はそれをぼんやり見送りながら、次は自分の番だな、と考えていた。
「お疲れ様です、あまり残業はしないように」
 ああ来たな、と思いながら「わかりました、キリのいいところで」と答える。
 
 ひと通り声をかけ終わった部長が席に戻ったところで、最初に声をかけられた同僚が立ち上がった。私と部長以外では最後の1人だ。
「僕もそろそろ帰ります」
「ああ、おつかれさまです」
 私がそう返答すると、彼は少し心配そうな顔をした。
「あなた、毎回最後まで残ってますよね」
「はあ、まあ」
「たまには定時で帰って休んだほうが……」
 ありがたい心遣いに、私はぺこりと頭を下げた。
「大きい案件終わったら、そうします」
 私がそう答えると、彼は軽く会釈して帰って行った。残されたのは、私と部長だけ。

「さて、仕事するか」
 私は立ち上がり、部長のデスクに向かった。
 私が部長に近づくと、その気配を感知して彼は顔を上げる。「どうしました」とその口が動くより先に、私は部長の首を後ろに90度折り曲げた。
 ウィン。
 無機質な機械音と共にその体内からコンピュータが現れる。
「さすがに3人連続同じセリフは不自然だよなぁ」
 私は独り言を言いながら、キーボードを叩いた。

 私の仕事は、機械仕掛けで動いているこの"部長"を正常に機能させることである。日中は他の平社員の同僚として動作確認をしつつ、仕事するフリをしているだけだ。
 この国では、部長以上の管理職のほとんどが高度なAIが内蔵された機械になっている。しかし、それを知っているのはごく一部の人間だけだ。そして私はそのごく一部である。管理職を管理する、おかしな仕事だ。
 管理職に人間らしい感受性は必要ない。昔気質な人情味あふれる上司は嫌われる。機械の方が偏りなく平等に、部下を管理することができる。そして実際、管理されている部下の方も上に人間味など必要としていないから、機械仕掛けであることに一切気がつくことがないのだ。

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