なんでもない大学生が北海道の独立リーグで野球選手になっちゃった話①~突然だけど北海道いきます~
このnoteを読んでいただく前に、まずはこのnoteを開き読もうとしてくださっている皆様に厚くお礼申し上げたい。そして、今、Twitter等からURLを何気なくクリックしただけ状態であるという貴方は、もう少し頑張って読み進めることを慈悲の心でぜひとも検討していただきたい。そのあと実際に読んでいただきたい。そしてちょっぴり興味をもってほしい。そして、それが積み重ねって世界中の人たちに北海道ベースボールリーグ及び北海道のことを愛していただける一助にこのnoteがなれれば幸いである。
...普段の生活でエッセイのように書くことはないので前置きの挨拶がかなり長くなってしまった。
とにかく心よりお礼申し上げる。
あざます♡
このnoteは2020年シーズン途中、そこらへんの大学生が、ひょんなことから独立リーグの北海道ベースボールリーグ『レラハンクス富良野BC』で野球選手になってしまった舞台裏をまとめたものである。そして、2020年12月現在も一応は進行形であるお話なので随時更新していく予定の、かなり先行きの読めない一冊となるだろう。
あぁ〜、しんどいな意外に。今年、お世話になったウチの球団代表の佐野公祇選手(現士別サムライブレイズ、以下サノさん)が結構活発に発信活動をしているのを横で見てきた。そこでオフシーズン中だし、やってみよーかな。なーんて、軽い気持ちで書き始めたもののなかなか進まない。
書き始めた頃、鎌倉の紅葉が見頃だったのが、今では枯れ葉になり気づけばクリスマスさえも終わった。なんなら年は暮れ、新年を迎えようとしている。
ほどほどに月日は流れた。
あたためたところで良い文章が書けるわけでもない。
まとまりなくてもいい、見切り発車でとりあえず出そう、そう思った途端にタイピングの速度が増す。...何事も力んではいけないな。もっと早く気づけばよかったなぁ...。にしてもシーズン中、普通にポンポンSNS更新してたサノさん恐るべし。
登録名「悠太」
改めまして、こんにちは。
2020年シーズン、レラハンクス富良野BCでプレーしました山本 悠太と申します。
生まれは北海道の道産子。幼少期は神恵内の海に素潜りしたり、ばんけいのスキー場でひたすら滑り込んだり天真爛漫に過ごした。とは言いつつも、小学校2年生の時に家族で引っ越してきて人生の半分以上は横浜で過ごしているのでいわば、はまっ子でもある。なので、初対面の人に出身を聞かれたら、道産子とハマっ子のハーフだよ、と意気揚々に答える。いつもややスベリといった具合であることは言うまでもない。
そんな僕の北海道での野球選手としての登録名は「悠太」
入団する際に既に山本麗貴選手(現さわかみ関西独立リーグ堺シュライクス、以下ヨシタカさん)が在籍していたので下の名前での登録となった。実は、サノさんに聞いたら下の名前キャラの選手(大和、イチローetc)をつくりたかったのでヨシタカさんがいなくてもそう提案していたかも〜という後日談もあったりする。
もう何人の選手とファンの方々にツっこまれたかわからない、ユニフォームの背ネームのYUUTA。球団で手配してくれたものなので僕の希望でそうなったわけではない。「U」が一文字多いやん、、、なんて最初は思ったけど、今では愛着がある。来年以降もきっと変えないだろう。
北海道ベースボールリーグきたわけ
独立リーグでプレーする人のほとんどは日本のトップリーグであるNPBや海外リーグを目指したり、己の限界まで野球をやり切るといった何らかの強烈なパッションをもっている。育成リーグとも位置付けられている北海道ベースボールリーグの選手たちも例外ではない。美唄ブラックダイヤモンズさんを含めた全員と話したわけではないが、少なくとも今年在籍したレラハンクス富良野BCの選手は皆、ベクトルは違えど何らかの強い意志を持って北海道でプレーしている。だから野球の上手い下手とかそういうもの以上にグラウンドを駆け回る彼らを同じ目線で そこがHBLの大きな魅力の一つである。はず。(当社調べ)
そういった中で、私が北海道でプレーする強い意志といったものは言わば後付けである。
アルバイトをしているイタリアンレストランで例えるなら、
マルゲリータのオーダーが入り急いで生地をこねてのばして焼き上げて、お客様のテーブルに運んだものの、肝心な具を乗せ忘れてしまったのでソースにトマトにチーズ、それからバジルを少々後付けで乗せさせてもらった。それだけでは申し訳ないので、ドリンクをサービスした。
申し訳ない、かえってかなりわかりづらい説明になってしまったし、アルバイト先でもそんな失態は犯したことはない。冷製パスタをあつあつの状態で提供してしまったことくらいである。
気を取り直して簡潔に言えば、
北海道には割とぼんやりとしたイメージと理想の枠組みだけでやってきて、北海道でプレーする意義といったものはレラハンクス富良野BCで活動していく中で確信めいたものにした。
という感じである。このあたりについては次回以降で、だらだらと書かせていただきたい。それはそうとそもそも私はなぜ北海道に来たのか。それも途中入団といった形で。
時間がないのでまたしても簡単に言えば、
一目惚れだ。
深夜テレビの再放送をみていたら、たまたまスポーツニュースが北海道ベースボールリーグについて特集をしていた。最初は北海道に独立リーグがあるんだなぁとしか思っていたが、見続けていると引き込まれていく。代表がパン屋さん?地域通過?よくわからないが、なんかすごい。10分足らずの時間だったと思うが、見終わると直感した。
「たぶん、俺ここで野球する気がする。」
詳しいことはとりあえず割愛するが、4年間ほとんど私は野球をしていなかったし、そういった状況で普通に考えれば独立リーグで野球をすることは不可能だろう。しかし、なぜだか、根拠のない自信が内側からわいてきた。理屈とかではなく、北海道で野球をするという...何と形容したらいいかわからないが、とにかくそういうアレを感じたのだ。
↓当時、球団宛てに実際に送ったメールの一部。冒頭からアピールポイントについて野球のことについて触れていなかったとこが恐ろしい。おそらくレラハンクス富良野BCだからこそ私を獲得してくれたのだと思う。
といった感じでほぼ勢いで連絡をとってみた。野球の技量でどうにかなるとは思えなかったので、正直に自分の気持ちをメールに気持ちをのせておくった。(後から知るが、球団が設けていたトライアウト期間の締切は少し過ぎていたらしい。目を通してくれたサノさんにまじ感謝である卍)
それから、おそらく、数日が経ったころ。
ベッドの上で寝転がりながら自粛期間中に大変お世話になったAmazon primeビデオで「探偵はBARにいる3」を楽しんでいた。
携帯電話が鳴った。いいとこで誰だよ!!って思いつつも
球団代表サノさんからだった。
あー、そういえばダメ元で連絡したんだった。ってことをそこで思い出し、
「この度は連絡いただいて、ありがとうございます」
不合格をわざわざ電話で伝えるなんて、なんて律儀なチームだろう。
ってぼんやり頭の中で考えながら話を聞いていたら、様子がおかしい。ちょっぴり興奮していたので、はっきりと一言一句は覚えていない。ただ、はっきりと覚えているのは、
サノさん「いつから合流できる?」
私「??????」
(え、これってまさかの入団決定?)
のやり取り。
この瞬間、実に約4年ぶりにユニフォームに袖を通すことが決まった。
しかも、北海道で。独立リーグで。
冷静を装い、みている途中だった、探偵はBARにいる3を再生し直すが、内容が全く頭に入ってこない。
私はベッドの上に立ち尽くしていた。
ちょっとニヤけていたかもしれない。
それからはあっという間。
慌てて新千歳空港行きのチケットを手配し、
アルバイト先には暫くいなくなる旨を伝え、
北海道へと向かった。
つ・づ・く👉
っていう感じの内容を中心に肩肘張らずにのんびり執筆(タイピング)していこうかと思います。ので!また懲りずに付き合ってくださいまし。
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