オキナワンロックドリフターvol.119

喜びも束の間。私はスケジュールを見て落胆した。なんと、ライブの翌日に必修科目の期末考査があったのだ。しかも、朝から一教科のみという嫌がらせのようなスケジュールで。
素行と言動はともかく、一応、大学から奨学金をもらった模範生なので試験は絶対にすっぽかせないし、ライブの為に休んで再試を受けることは苦手な担当教授なのでできそうにない。
私は臍を噛む思いで正男さんに電話し、ライブに行けそうにないと伝えた。正男さんは非常に残念がられた。
行きたい。この時ほどどこでもドアやルーラの呪文があればと思ったことはなかった。
色々あったとはいえ、復活は絶望視されていた正男さんの晴れの舞台なのに。
そんな中、サイトの常連さんのひとり、カイさんからメールがきた。カイさんは横須賀在住の方で音楽に携わる仕事をされている。
「Apacheの公式サイト見た?正男さんの復活ライブがあるよ」
し、知っていますとも。行きたいけど行けないのです。
カイさんに期末考査があるから行けないと告げると、なんと、カイさんはライブの告知を見るや否やすぐにApacheに予約を入れて飛行機の手配をし、このライブのためだけに沖縄に行くという。
私はカイさんにセットリストと、できればライブ様子をメールで報告してくれと懇願し、カイさんは苦笑しながらも承諾された。
さらに、もうひとりの常連さんからメールがきた。福岡のCDショップで働くパティさんからだ。友人に会いに沖縄に行くそうだがちょうど日程がかさなったので正男さんのライブを観に行くそうだ。パティさんにもライブのレポートをお願いした。
行けない悔しさを噛み締めながら私は毎日を過ごした。毎週木曜の公開講座ではそんな心境が顔に出ていたのか、アーリントン先生から「どうしたミキー?顔がコワイヨ」とどん引かれる始末だ。
そして、7月27日。
急にバイト先のオーガニックカフェから連絡があり、午後のシフトに入れないかと連絡があった。
私は家で悶々とするよりはいいし、9月に沖縄行くから少しでも稼ごうと思って引き受けた。
午後のシフトは淡々と終わり、私は後片付けと売上チェック、戸締まりを済ませるとスローハンドで夕飯をとることにした。
スローハンドではマスター夫妻と田中さんが出迎えてくださった。私はオムライスの特盛を注文し、終電間際までスローハンドでオムライスとモスコミュールを楽しみながらマスターと長話をした。
すると、マスターはぽつんと呟かれた。
「コサイさん、前に話してたよね?正男さんってクラプトンのカバーをしていたって。どんな曲をやってたの?」
私は清正さんや他の方から聞いた、正男さんがされたクラプトンの曲をいくつか羅列した。
すると、マスターはこくりと頷かれ、アイランドが解散されてから正男さんがよく歌われていたという"Tears in Heaven"と、Deep Purpleの"Smoke on the water"を弾き語りされた。
ライブに行けないもどかしさを全開にした私への慰めとプレゼントなのだとわかり、嬉しくなった。
「どーう?少しは慰めになった?」
マスターはにっと笑い、おっしゃった。
大学時代の想い出は色々あれど、スローハンドという店に出会えたことは大きな収穫だと改めて思った出来事だった。
終電に乗り、携帯でメールをチェックすると、メールがパンパンに詰まっていたのか一気に数件受信した。カイさんからだ。
「元気してる?まいきーさんにプレゼント」
なんと、ライブの模様を携帯で撮影したムービーをカイさんは送ってくださったのだ。

奇しくも正男さんは"Tears in Heaven"を唄われたようだ。正直、長年のブランクと荒れた生活が災いしてなのか以前のような声量はないし、声もガレが多かった。

しかし、その隙間から正男さんにしか出せない透明感がまだ残されており、私は映像の中の正男さんをそっと撫でた。
そして、次の映像は観客席にいた俊雄さんをステージにあげ、Apacheのスタッフと会場をびっしり埋めるオーディエンスによる"Happy birthday"の合唱だった。
茶色のアロハを着てはにかんだ笑顔をした正男さんと、戸惑った表情ながらもだんだんと微笑みを浮かべるラフな格好の俊雄さんの姿があった。
俊雄さんはかなり髪を短くされ、痩せられていた。
そのムービーを見た時は、「俊雄さん、痩せられたなあ。でも去年の春に会われた時よりも顔つきが引き締まっているな」と思っていた。
今思うとゆっくりとその体は病に蝕まれていたのかもしれない。
その時の私は何も知らず、映像の中の正男さんと俊雄さんに「誕生日おめでとうございます」とそっと呟いた。そして、愛しさをこめて何度も何度も、それこそ携帯が電池切れするまで、カイさんかくださったムービーをリピート再生した。
そして、家に着いて携帯を充電してお風呂に入り、横になるとまたメールの着信があった。パティさんからだった。
パティさんのライブレポートはカイさんより辛辣かつ、カイさんのムービーを通してしかわからなかったが私もうっすら思っていたことをオブラートなしで書かれていた。
「まいきー、あんたにはきついこと言うけどさ、正男さんのライブ、正直お金を貰うレベルに達してない。ファンは優しいからしばらくはライブに客が入るだろうけれどこれじゃあ先細りするよ」
パティさんの言葉が無数の矢が刺さったように私をグサグサ傷つけたが、パティさんの言うとおりだ。
ライブ成功何よりだが、明らかに声量、歌唱力が落ちた正男さんは少し悲しくなった。
定期的にライブをできるだろうか?自業自得はあれどひどいバッシングを受けないだろうか?そんなことが頭の中をループして寝付けなかった。

翌日。ほぼ一睡もできなかったが、スローハンドのマスターの心遣いによる弾き語りとカイさんとパティさんによるライブレポートが気力を与えてくれたからか期末考査の手応えはあった。 期末考査が終わり、長い夏休みが始まる。ちょうど、この年。2009年はバラクオバマ大統領誕生の余波からか日本の政治も首相と財務相バッシングと政権交代の大きな期待で揺れ、日本が変わるかもという空気で揺れていた。そんな夏だった。

なんとなく、私の中でなぜかはわからないものの不安と不信が白いシーツに墨汁を溢したかのように広がっていった。今もその理由はわからないがとにかくこの夏からしばらく言い様のない不安が私を侵食していったのは今も生々しく覚えている。

(オキナワンロックドリフターvol.120へ続く……)
文責・コサイミキ

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