ビージーズ 栄光の軌跡を観たんだ。
ご無沙汰です。先月から体調を崩すわ、一昨日は通勤途中に足を挫いて転び、さらにまだくじいた足が痛む始末。散々です。来年はいいことありますように。
昨日は残業で、しかも昼から映画を観に行くので睡眠時間を最優先したばかりに行きつけの朝ごはん屋に行けず(泣)今年最後のお気に入りの店での朝ごはんにありつけなかったのが悔やまれます。さて、朝ごはんを諦めてまでどんな映画を観たのかというと、こちら。『ビージーズ 栄光の軌跡』です。
イギリス生まれ、後にオーストラリアに移住したギブ一家には歌うことが大好きな兄弟がおりました。そんな彼ら、バリーと彼の3つ下の弟で二卵性双生児であるロビンとモーリスの仲良し兄弟には夢があったのです。「いつか音楽で成功したいね」
最初はなかなかうまく行かなかったものの、3枚目のアルバムが評価されてスターダムへ。しかし、酒やドラッグ、環境の変化によるいさかいに翻弄されます。(話は逸れますが、それについて「兄弟で音楽をやるのは難しい」、「兄弟の歌声はお金では買えないかけがえのないもの」とインタビューにて発言した元『オアシス』のノエル・ギャラガー。兄弟ゲンカの末に決裂し、未だに関係が修復していない弟のリアムのことがあるから非常に説得力がありすぎる発言です。いつか和解して欲しいなあ)それでもまた3人は仲直り、音楽性を変え、バリーのハイファルセットを軸にしたR&B路線に舵をきると大成功。折しもディスコブーム到来、ニューヨークマガジンに掲載されたルポルタージュであるTribal Rites of the New Saturday Night"(後にこのルポは創作であることが判明)を基にした映画『サタデーナイトフィーバー』のサントラを任されることでビージーズはメガヒットするのですが……という内容。日本で局地的ヒットした『小さな恋のメロディ』についてははしょられていて残念ですが、マイアミに拠点を移し、R&Bに傾倒したことが成功と、ディスコアンチたちによる激しいバッシングを受けていたのは、アメリカ居候旅行の時に観たドキュメンタリー”Behind the music”で既に知っていましたが、ひとつのジャンルが爆発的にヒットすると、そのジャンルに敬意をもたない人々による亜流と粗製乱造、それによるアンチの増加というのは古今東西問わずあるなと悲しくなると同時に、ディスコソング叩きの矢面に立たされ、傷つき、失意に陥るギブ兄弟に作曲を依頼したバーブラ・ストライサンドに心から感謝したくなりました。末弟で兄弟一のハンサムで音楽やお芝居の才能もあったアンディのドラッグ依存からくる急死、モーリスの腸閉塞手術中の急死、ロビンの癌闘病の末の死と弟たちを見送り、一人残されたバリー。彼の言葉と涙、それでもステージで『ステイン・アライブ』を歌い、歌う彼にありったけの声援を送るように踊る無数のオーディエンスの姿には泣いてしまいました。当時は叩かれたにしても心血を注ぎ作り上げた音楽は時代を越えて輝くのです。
そして、“Behind the music”でもビージーズの歴史を語る上で取り上げられる過激なディスコバッシング。ビージーズが諸悪とばかりに叩かれていたようですが、ディスコブーム時、時代の最先端スポットだった『スタジオ54』の評伝を読む感じ、泡銭を手に入れ、我が世の春を謳歌している(風体だった)『54』のオーナーであるスティーブ・ルベルへの反感と僻み、あと、KISS版『抱きしめたい!』な青春映画『デトロイト・ロック・シティ』でも、KISSアーミーなボンクラ高校生がディスコをくさすくだりがありますが、やはり当時のハードロックorヘビーメタル勢ないしそのワナビーたちにはディスコミュージックは内容のないふにゃけた音楽、そして黒人やプエルトリカン、ゲイといったマイノリティ派生の音楽だからマッチョイズム振りかざして叩いていたのかなと推測。ハードロックもディスコミュージックも大好きなものとしてはドキュメンタリー内にてヒステリックに行われた“Disco sucks (ディスコなんてサイテー)”運動は痛ましくなりましたよ。
映画を見終わり、無意識にハミングしたのは“Stayin' Alive”でした。兄弟の相次ぐ死により、ひとり残されながらも歌い続けるバリーへの賛歌として、そして、どんどん殺伐としていく時勢にへこみそうな自分への凱歌として。無意識にハミングしてしまいました。
(文責・コサイミキ)
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