オキナワンロックドリフターvol.61

目を覚ましたら、吐き気と頭痛が襲った。二日酔いだった。
朝食オプションつけなくて良かったなと思いながら、私は階下の自販機でさんぴん茶や水を買い込み、ぐびぐび飲んだ。
だいぶ落ち着いたら小腹がすいてきたので、食べずにとっておいた空飛ぶ子ドラを朝ご飯代わりにした。ムオリさんに感謝である。
テレビをつけ、AFNとOTVを交互に見ながら二日酔いが完全に癒えるまで寝ることにした。
たまにはこんな旅もいいなと思いながら微睡んでいると携帯に着信があった。さっちゃんからである。
そうだ。今日はさっちゃんとオスカーの店に行く予定だった。俊雄さんも誘いたいけれどどうだろう?
と、さっちゃんに尋ねると彼女は快諾してくれた。
待ち合わせはサンライズホテル内のレストランに午後18時。それまでにコンディションを整えよう。
しばらく横になり、起きたら城間家に電話なのだが……。やはり、空振りに終わった。
またも俊雄さんに会えない旅となった。
起きたのは正午。その時にはだいぶ体の調子もよくなった。
念のためにサンエーで飲み物を買い込み、ホテルに買い物したものを置き、再びコザ散策へ。
せっかくなのでオーシャンに立ち寄ることにした。
ヤッシーさんは私を見るなり、「おまえまた来たのか?」という表情だったが、素知らぬ顔でコーラを注文した。常連客の方の表情も、やれやれまた来たのかという表情だったが、ウチナーグチで近況を尋ねられ、それがわかるようになったのはある意味進歩かもしれない。
コーラを飲み終えてヤッシーさんにお礼を言い、再びてくてく歩く。プラザハウスに立ち寄ったら、店内にあるスーパーが小規模な成城石井と例えたくなるような品揃えだったポンパニエから地元スーパーのかねひでに変わったのは世知辛さを感じた。
歩くのもいいけれど、まだ財布に余裕があるから少しだけ遠出しようと思いたち、プラザハウス前から具志川までバスに乗り、車窓の景色を楽しむことに決めた。
ウォークマンは置いてきたので、心の中でThe Whoの“Magic bus”をエンドレスで流し、いざ、バスの旅。
嘉間良まではバスで行ったことはあるものの、それ以降の景色は知らない。私は車窓の流れる風景をひたすら網膜に焼き付けた。
吉原は空気が明らかに違った。なんというか、うらぶれた、退廃の匂いがして、うかつに入ったらいけないなという空気がバスからも伝わった。
美里あたりに入ると島袋三叉路から照屋までのコザとは違い、郊外のそこそこ栄えている地方都市っぽい空気が流れた。全国区のチェーン店もちらほら見え、本土化が著しい場所とも言えるけれど。
中部病院前あたりになると沖縄の土臭い空気が流れた。平良川付近でチビさんが当時営んでいたライブハウス『宮永流太鼓道場 鼓響館』が見えたので、ひとつ後のバス停で降り、『鼓響館』を見に行くことにした。
まだ昼過ぎなので当然ながら開いてない。せめて外観だけでもと思い、近付いて見ると、黒塗りの建物に仰々しい『鼓響館』という看板は……。端的に言えば、色んな意味でチビさんらしい店構えだなと思うものだった。
せっかくなの安慶名まで歩いてみた。具志川はコザとはまた違う空気が漂っていたのは新たな発見だった。そしてまた平良川まで引き返し、バスで胡屋まで。
時計を見たら午後15時。そろそろ仕度しないと。一風呂浴びたらラフな格好に着替えて溜まった洗濯物をコインランドリーに入れ、部屋でお茶を飲みながら
洗濯物が洗い終わるのを待つ。終わったら洗濯機から乾燥機へ。再び部屋で待機。乾燥した洗濯物を畳み、選り分けてバッグとナップザックに入れ、バッグにお土産を入れたらホテルのフロントにお願いして宅急便で送ってもらうことに。
ナップザックには残りの着替えやウォークマンと最低限のものだけを入れ、エコバッグにはさっちゃんとオスカーのためのお土産を入れたら荷物の仕分けは完了。
後はさっちゃんを待つばかりだ。
空調のきいた部屋の中、窓から見える街を眺めた。
もう沖縄に行くことはないと、去年の夏は思っていた。しかし、私の旅はどうやらまだ終わりそうにない。
そして、輪ではなく、散らばった点から点を行き来するような関係ではあるけれど、親しい人たちが着実に増えている。
「上等じゃないか、ねえ?」
私は心の中でうつむいている過去の私に言い聞かせるように呟いた。
のんびりしていたら瞬く間に時間が過ぎる。もうすぐ午後18時だなと思い、私はさっちゃんとの待ち合わせ場所である階下のレストランに行った。
紅茶を飲みながらさっちゃんを待った。すると……。
「まいきー!」
おかっぱ頭を揺らしながらさっちゃんが駆け寄った。私は嬉しさに目を細めて手を振った。

(オキナワンロックドリフターvol.62へ続く……)
(文責・コサイミキ)

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