サマーオブソウル







昨年の夏、この映画を観た。
「サマーオブソウル」
1969年、6月29日・7月13日・7月20日・7月27日・8月17日・8月24日の日曜日午後3時から日没までの6日間、ニューヨーク州ハーレムのマウント・モリス(現・マーカス・カーヴィに改名)公園にて無料の音楽フェスティバル、「ハーレムカルチュラルフェスティバル」が行われた。しかし、同年開催された「ウッドストック」が伝説として今も語り継がれている一方、こちらは映像を50年もの間お蔵入りにされ、30万人も観客を動員したにも関わらず、音楽史からも「なかったこと」にされた。

しかし、この埋もれた映像をヒップホップグループ"ザ・ルーツ"のドラマーでもある監督、アミール"クエストラブ"トンプソンが当時の出演者や観客の証言を交えて2時間のドキュメンタリーとして再編したこの映画はさながら当時の白人社会、いや、今もなお課題だらけのアメリカの社会情勢に鋭利なサバイバルナイフを突きつけるようなものだった。
キング牧師、ケネディ兄弟、マルコムXと黒人コミュニティの希望が相次いで射殺される痛ましい事件があり、黒人コミュニティの社会への憤怒は限界寸前だった。1969年、共和党員(1971年に民主党に党籍変更した)であるものの当時としてはかなり先鋭的リベラル志向だったジョン・リンゼイニューヨーク市長を保証人として企画、実行されたハーレムカルチュラルフェスティバルは、斜に構えた見方をすれば、ニューヨーク市にとって黒人たちの暴動や略奪を防ぐ「ガス抜き」的目的があったのかもしれない。
だが、スクリーンから伝わる夏の日差しとともに伝わる出演者と観客の熱気は当時の黒人たちへの迫害と杜撰な福祉への憤怒、音楽を通して何かが変わるかもしれないという改革への期待、そして縁となっていたリーダーたちを暴力により奪われた喪失感とそれをばねとした躍動で形成されていた。
当時まだ19歳のスティービー・ワンダーはキング牧師射殺への悲嘆をハードかつ躍動感あるドラミングで現し、ゴスペルの女王・マヘリア・ジャクソンはメイヴィス・ステイプルズとともに迫力ある「祈り」と比喩したくなる歌声を披露し、ウッドストックでも高い評価を得たスライ&ザ・ファミリーストーンは、服装、バンド編成、音楽性とともに最先端をいき、観客を熱狂させていた。
度重なる訴訟やマネージャーからの搾取、自身の浪費癖による破産から表舞台を去ったからなのか、スライ・ストーンからの証言がなかったのが大変残念だが、当時のメンバーでサックス奏者のジェリー・マルティーニとともにメンバー内でたったふたりの白人だったドラムのグレッグ・エリコの証言が聞けたのは貴重だったし、完全にアウェイであるニューヨークハーレム、しかも白人たちに冷ややかな視線を向ける黒人たちを前に演奏で評価を覆す映像の中のグレッグの姿はただ圧巻だった。
さらにドキュメンタリーは佳境に向かい、観客たちが熱を帯びた口調で語るのはミュージシャンであり活動家だったニーナ・シモンのステージングである。
黄色いドレスをまとい、男性バックコーラスを従えた女帝のような堂々とした振舞いのニーナの弾き語りは混迷する社会にぶつける握り拳のように熱く激しい。
当事者でない一東洋人であるこちらとしては聞いていて身震いするほど過激な彼女の演説に観客の歓声と同調の声が響く。
フェスと当時の情勢の証言者として語る人の中に元ニューヨークタイムス記者でジャーナリストのシャーレイン・ハンターゴールトがいた。彼女はニーナ・シモンの歌に救われたという。
ジョージア大学初の黒人学生として進学した彼女を待ち受けていたのは偏見と嘲笑と差別と無理解。寮の一階に住むのは彼女ひとり。他の白人学生は階下の彼女を追い出そうと床を踏み鳴らして彼女の学問の妨害をしていたという。
シャーレインはうちひしがれそうな心をニーナ・シモンの歌で支えていたと真っ直ぐな瞳で語っていた。
陳腐な言葉かもしれないが、歌が人の命と心を救ったのだ。
他にも、7月20日。アポロ11号月面着陸に盛り上がる一般層と、あまりに呑気なリポーターのフェスの観客へのインタビュー、それに対して「それがどうした。月にいくのに金を費やすなら福祉をどうにかしろ」とリポーターに吐き捨てる観客の温度差はさながら灼熱と永久凍土のごとき隔たりで、ハーレムの貧困とそれから逃れるための麻薬汚染の深刻さがひしひしと伝わっていく。
ミュージシャンたちの合口を突きつけるような演奏やアル・シャープトンやジェシー・ジャクソンといった活動家たちの血が滲むような演説と彼らの音楽やスピーチを支えや拠り所にして戦う当時の観客たちは観ているこちらを圧倒させるものの、同時に言い様のないよるべのなさへ突き落とす。
そんな中、序盤にて「アクエリアス/レット・ザ・サンシャイン」を唄うフィフス・ディメンションの5人の歌声は安らぎと空と一体化していくような浮遊感を覚え、なぜだかほっとして涙が流れた。
もともと、"Hair"というミュージカル自体が好きで、フィフス・ディメンションによる「アクエリアス」も大好きな曲なのだが、世間から、特に同胞である黒人コミュニティからの「黒いママス&パパス」という揶揄に近い評価を彼らはその高らかな歌声で逆転させているのがわかり、心躍った。
まだ幼い少年だった観客のひとりがフィフス・ディメンションの女性メンバーの片割れであるマリリン・マックーを絶世の美女!僕の初恋だったと絶賛したのも頷けるほど西陽を浴びて歌い踊るフィフス・ディメンションのメンバーたちの荘厳な美しさが心に焼き付いたし、その情熱的なステージングの温もりに居心地の悪い気持ちが助けられた。

映画はスライ&ザ・ファミリーストーンの"Higher"で終わり、祭りの後のように雑然としたフェスの後のマウント・モリス公園のモノクロームの写真とともにフェスの映像を「黒いウッドストック」として売り込むも長年相手にされなかったという証言で〆られる。

映画が終わった後も興奮と言い様のない疎外感や当事者でないものがこの映画を語っていいのかという迷い、そして張り詰めた弦を震わせるようなフィフス・ディメンションの歌声からもらった安らぎへの感謝と色んな思いが渦巻き、ループしている。
今、抱いた感情をどうにか整理して書いているものの未だに心は様々な気持ちでモザイク模様を描いている。
そんな映画だった。

(文責・コサイミキ)

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