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シーナ&ロケッツ 鮎川誠~ロックと家族の絆~を観たんだ

今日はこの映画を見に行きました。
『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』
RKB福岡放送にてオンエアされたドキュメンタリー番組の再編集が軸になっているからか、作りの粗さや掘り下げの浅さが散見される箇所もいくつかありました。しかし、それを差し引いて余りあるのは、天才肌なのにそれを見せない誠実かつ愚直なひたむきさを持つ男・鮎川誠と、若松生まれのロックに心酔し、ロックを追求した跳ねっ返り娘・副田悦子の必然的なまでの出会い、互いを敬いあい、支え合う余りにも優しくて美しいラブストーリー、そしてその2人から生まれた娘さんたちが語り継ぐ、思いやりを失わなかったファミリーヒストリーからかもしれません。
証言者も豪華な面々ばかり。土屋昌巳さんは目を細めながら鮎川さんの優しさを語り、浅井健一さんは少年に返ったかのように熱を帯びた口調でシーナ&ロケッツの唯一無二さを語られていました。特にこの映画のナレーションも担当された松重豊さんの語る際の迸る熱さには驚きました。ま、松重さんはロック少年だったのか。さらに無名の俳優時代、シーナ&ロケッツが軌道に乗られた鮎川さんご一家が拠点にされていた下北沢に住み、ラーメン屋さんでアルバイトをしながら、鮎川さんご一家に遭遇するとそれだけで幸せな気分になられたとか。どんだけ好きなんだよ!松重さん。
さらに、まだザ・ブルーハーツ結成以前、岡山のロック好きな少年だった甲本ヒロトさんは、シーナ&ロケッツが岡山でライブをされたあと、ライブ後にラジオ出演されるということで偶然ラジオ局の近所に住まわれていた甲本少年は出待ちをしていたとのこと。「僕、まだロック未経験ですけど、僕にもロックンロールができる気がするんです」と未知数な夢を語る甲本少年に鮎川さんは「お前!大丈夫!きっとできるよ!」とまっすぐにエールを送られたとか。そして、甲本さんは後にザ・ブルーハーツやハイロウズでレジェンドを作られたのだから、鮎川さんのエールが大きな力になったのだろうなあと。
話はそれますが、ロックンロールから生まれたラブストーリーは古今東西数々あります。しかし、大半が別離や泥沼の破局という悲劇的な結末に終わる中、死がふたりを分かつまでずっと一緒だった鮎川夫妻のロックしながらもそれが日常として浸透しているエピソードに驚嘆しました。レザーの服を着てお夕飯を作り、ボディコンシャスな服でみどりのおばさんとして旗を降り、交通安全を指導するシーナさん。字で綴ると滑稽だけれど、シーナさんだからかっこよくてロックなのは、映画の中でも流れた映像『岩田屋 新日本家族』のCMでの、タイトなチューブドレスで今か今かと待っている娘さんたちにおにぎりを作るシーナさん、そんなシーナさんをギターを弾いて援護する鮎川さんという姿の輝きからわかるんだからなんかずるいくらい。
なんだよ。チート過ぎるだろ?お伽噺レベルのありえなさだよ。でもこんな素敵なふたりがロックしてずっと夫婦でいて3人の娘さんたちも鮎川さんとシーナさんをリスペクトしていて。甲本ヒロトさんの言葉ではないですが、「鮎川さんとシーナさんが『いた』ってことがすごいんだ」と心底思いました。
だからこそ、鮎川さんとシーナさんの想い出を微笑みながら語るも、ふたりの不在の大きさに涙する娘さんたち。生まれ変わったら人間でなくてもいいからパパとママにまた会いたいと語る純子さん、モデル業の傍ら画家として活躍する陽子さんが絵を仕上げにかかる際、療養中の鮎川さんが絵を誉め、そしてベクトルは違えどクリエーターとしてアドバイスをされたエピソードに眩さすら覚えましたが、特に心にずしっときたのは、鮎川さんの晩年にシーナさんに代わり、Lucy Mirror名義でボーカルをとられた三女の知慧子さんが「今日はパパとママがライブから帰ってくるから急いで掃除しなきゃ、でも、掃除しているうちにもうパパとママもいないんだと気づいたんだ。……早く会いたい」と語り、泣き崩れる姿にはこちらも涙が。
そして、エンディングロールを観ながら、改めてもうシーナさんも鮎川さんもいないんだということを思い知らされて、その空白の大きさに後から後から涙が溢れてきてしまいました。


 (文責・コサイミキ)

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